47年振りの母校キャンパス:生涯学習ノート

生涯学習ノート
47年振りの母校キャンパス


大学を卒業して47年が過ぎた
70歳になろうとしている今、母校のキャンパスに毎週通うようになるとは思いもよらなかった
週1回就職支援ユニットという部署で就職支援の相談を行うことになったのである

4月26日は2回目の訪問日であった
仙台から高速バスに乗って南校前で降りて、山大キャンパスへ向かう


正門前はあまり変わっていない。正門前の左側の角のよろず雑貨店は昔のままの看板と建物が残っている
正門脇の桜は昔咲いていた桜なのだろうか


正門から見て、遠くに見える残雪の山並みは47年前にも目にした山並みだ
昔は右側に木造の大学の事務所があったが、今はコンクリートの大きな校舎が立ち並ぶ

キャンパスに入るのはちょうど昼休み時間
キャンパス内は、はやりの服装で身を固めた学生達が街中を歩くようにうごめきあう
昔は一般教養と文理学部だけだったので学生の数も少なかったのに


お世話になる就職支援ユニットの建物は正面から見て左側奥にあり、昔4年間お世話になった「学寮」のあたりになる
その建物を目指して歩いていくと途中にスロープがあった
47年前にもあったスロープの1部ではないかと思い昔のキャンパス風景を思い出す
間違いない
キャンパス内は大改造されているが、このスロープは残されていたのだ

「学寮」から教室まで歩いて5分くらいであった
当時の「学寮」は3食付だったので、毎日このスロープを最低3回は上り下りしたはずである

毎日のように練習したウエイトリフテングの道場があった体育館やグランドはもう見当たらない


ちょうどスロープの上にある桜が満開である
近づいてみると巨木である
47年前に「学寮」の窓から眺めた桜の木、桜の花なのだ
良く生きながえてくれていたものである
懐かしく、愛おしい気持ちになる

就職支援ユニットの部屋で、「学寮」はこの建物のすぐ隣にあったと教えてもらう
支援ユニットの部屋の窓から見る山並みの景色はその昔、「学寮」から見た景色と変わらない頂を見せてくれていた


「学寮」で暮らした4年間を思い出す
旧制山形高校時代の寮で1部屋に5人。布団をびっしりならべて寝ていた
プライバシーなどはなかった
暖房は火鉢1つ
その火鉢を囲んで語り合い、時には洗面器を鍋代わりにいて5人で飯を食ったこともある

5人はウエイトリフテング部のメンバーで固めていたので、合宿しているようなものであった
その内の1人が昨年亡くなってしまった

この「学寮」の生活で多くのことを学び友情を育てることができた
支援ユニットの建物の近くに大きな杉の木がある
昔もあったのだろうか 思い出せない

就職ユニットの個室でカウンセリングを行う
午後1時から5時まで、4人行う
4月ともなればもう今年の就職活動も大詰めを向かえて最終面接対策の相談である

企業ごとに書いて提出した面接カード(エントリーシート)を基にして模擬面接を行う
厳しい情況の中での就職活動なので、学生も必死である
1時間はあっという間に過ぎる

相談の終わりのときにカウンセラーも47年前の卒業生であると話すと、ほっとしたような柔らかい表情を見せてくれる

70歳になろうとしている今、孫のような後輩達の相談にのってやれることを喜びとする

定年間際にカウンセリングの道を選択し、今まで続けてこられたことを幸いと思う

人生最後の仕事として後輩達のために頑張ってみようと思う




2010.04.29:Copyright (C) 年だからでなく年がいもなく
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