▼僕の前に道はある
ガンになってからの私の療法は玄米菜食と運動とストレス解消の3つである
運動療法は、毎朝の1時間のウオーキングと週3回のスイミング
駅から円で描いて5キロ圏内の住宅街であるが、自宅から5分くらい歩くと水田地帯になる
私には東山魁夷画伯の「道」のように思われるこの一本道をウオーキングする
毎朝この道をまっすぐ30分歩いていって引き返すだけ
行きは遠いなと思われるが、帰り道はなぜか短いように感じる
ユングのいう人生の折り返し点40歳を過ぎて、帰り道を歩いている今、時間の経つのを早く感ずるのは同じことか
70歳からの10年はあっという間だろう
以前は音楽を聞きながら歩いたりしたが最近はただ歩くだけ
ひたすら歩くことに専念して、自然と頭に浮かんでくることについて思いをめぐらす
そのほうが普段考えないようなことや思いもつかないようなことが頭に浮かんでくる
不思議とがんのことや死ぬことは浮かんでこない
毎日の生活のなかでは思い浮かべないことが多い
取り留めのないことばかり考えてはいるが、私にとっての「哲学の散歩道」といえるかもしれない
毎朝道で出会う人は大体14,5名 顔ぶれは決まっている
お互いに元気に挨拶をする 時には言葉も交わす それだけで嬉しくなる
今日も始まるぞ! 今日はいい日になるぞ! そんな気がして元気がでてくる
農家の畑に植えられた作物や水田の稲が一日一日成長していくのがわかるのは楽しい
なかには美しい花も混じっている
「楽しみは朝起きいでて、昨日まで無かりし花をみるとき」の心境
しぎが10羽以上田んぼや休耕田に群れている しぎの鳴き声を初めて聞いた
田の用水路にはザリガニが沢山いて、歩いていくとバチャバチャ水音をたてて隠れようとする
小さなイナゴやドジョウも見ることができる
時にはザリガニが道路に飛び出してしまい、それをカラスがついばんだりしているのも目にする
時には霧がかかって幻想の世界を歩いているような気分にさせてもらえる
これからは寒くはなるが毎朝地平線から昇る日の出が見られる
単純に、ひたすら歩くだけで、自分が生きていること、生かされているような気持ちにさせてもらえる
がん療法という必要に迫られて始めたウオーキングであるが、今では生きがい
のひとつになり、金のかからない楽しみとなっている
「“ガン”よ今朝もありがとう」である
→画像[大 中 小]
2008.08.31:choro
遅れませながら迷走の道?
哲学の道散歩、生きがいがいくつもあって羨ましいことです。
田んぼにザリガニやドジョウがいるということは、農薬が少なく生態系が改善しているのですね。びっくりすると同時に、すごく嬉しい気分になる記事でした。
ところで、最近妻に新しいシューズを買ってもらい、遅ればせながら昨日から歩き始めました。1年ぶりの再開です。冬場寒くて散歩を中断していたら、そのまま夏が過ぎようとしてしまいました。
この夏、庭の草取りを一生懸命やりすぎて膝を痛めてしまい、歩き始めて10分で膝が苦しくなり、引き返したい気持ちになりました。最初から無理せず、マイペースで迷走の道を続けたいと思います。
2008.09.01:イヌ夫です
「イヌ夫も歩けば棒にあたる」ですよ
そうですか、奥さんから新しいシューズを買ってもらたのですか
いいですね、うらやましですね
もう三日坊主では終われませんね
どこかの首相のように「国民の目線」で、といいながらトンズラするわけにはいきませんよ
家族の目線にたってシューズを投げださないで続けてください
続けていくためには北京オリンピックの選手が言ったように「楽しくなければいけない」のかもしれません
歩くことが楽しいと思えるように意識、視点をかえてみて、イヌ夫
さんらしく工夫されてみたらいかがでしょう
私は歩いているうちに孫たちと頭の中で会話をしているときがあります
そんなときはあっという間に時間がたってしまっております
イヌ夫さんは何を思うと楽しいのかな〜
2008.09.02:長朗
歩くこと
私も朝に歩く事をはじめて二十数年になります。
最初の動機は「うつ病」からのリハビリのためでした。
「こころと身体はつながっているんですよ。畑山さんはもっと運動をしたほうがいいですね・・・」精神科医からのアドバイスです。
私は小さい頃から余り運動は好きではありませんでした。ですから自分に出来て、長く続けられる運動といったら「歩くこと」ぐらいしか思いつかなかったというのが正直なところです。
その後、「人類は二足歩行をする事で進化した。」とか「人は足から老化が始まる。」とか、いろいろな、歩く事の効用を見聞きして自分なりにも納得しながら歩きつづける事が出来ました。
長山さんの文章を拝見して、私も「これまで何を考えながら歩きつづけてきたんだろう?」と考えてみました。
一言で言ってしまえば「今の自分はどう生きようとしているのか?どのように生きる事が、自分にとって納得できる事なのか?」「ああでもない、こうでもない」に尽きると思います。
最近考えている事は「こころと身体の健康を保つために、自分に欠けていることはなんだろう?に気づくこと」が多いように思います。
長い間私は、「病気になるのは、人生におけるリスクみたいなもので、仕方がない事だ。」「病気になったら治せばいいんだ。」と思ってきました。また、「病気を治すには金がかかるから、そのときの備えとして保険にも加入しておこう。」とか「その為にも金を稼がなくては!」とも考えていました。
その結果の主な病歴は、15歳で胃潰瘍手術(自律神経失調症)、27歳と37歳でうつ病、47歳で躁うつ病、現在は心臓疾患(不正脈)です。(その他、痔の手術やアルコール依存症・・・等々も経験しました)
最近やっと気が付いた事は「病気に罹らないようにする方法や生き方」もあるのだと言う事です。
そして今朝も、歩いてきたあと長山さんのブログ「僕の前に道はある」に出会い、自分の今の思いを吐露させていただき、「こころと身体の健康の大切さ、と歩くことの大切さ」に得心している私がいます。
2008.09.03:畑山 良四郎
歩いて考えるときにいい考えが・・・
畑山さんの病歴もすごいですね
繊細なんですね
だから南米音楽愛好家なのでしょうか
病気にかからない生き方というのはあるのでしょうね
食事、運動、リラックスに気をつけることでしょうか
「ガンは自分が作った病気、だから自分で治せる」のだそうです
私もこれからやり直します
人は二本足で大地を踏みしめて歩いている時に、一番いい考えが浮かぶといいます
最近それは真実だ、という思いが強くなりました
歩け、歩け ですね
2008.09.04:長朗
→トップへ
(C)生涯学習ノート
powered by samidare
system by community media (Free CMS)