▼ガン日記 
中野孝次(文春文庫)
著者は評論家であり小説家でありエッセイスト。ベストセラー「清貧の思想」「ローマの哲人 セネカの手紙」の著者。平成16年 日本芸術院賞及び恩賜賞を受賞
平成16年2月8日から始まり、3月18日まで、ガンの告知を受けた著者が検査入院を繰り返し、治療のために入院する日の朝までが記されている
本は2部構成になっている
T・ガン日記、・夫が亡くなるまでの日々 ・文学者の真実の記録 ・死に際しての処理
U・セネカの哲学と私のガン体験 ・墓をつくる/墓のこと ・「黒いノート」
著者は食道ガンを宣告され、当初は自宅治療を希望して抗癌剤や放射線治療を拒んだが、最終的には入院し抗癌剤、放射線治療を選択している
拒否から選択への変遷については日記に下記のように記されている
今までは一途に、入院・放射線治療・抗癌剤投与は絶対に受けずとのみ思い来たりしが、では我が家にあってどうするかの具体についてこまかく想像せしことなかりしに思いつきたれば也
日々衰え、病気進進行してゆく人間と共に暮らす者、すなわち秀(奥さん)の心労はいかばかりや
その他自宅にありて自然死を迎えるとき次々と出現するさまざまの問題は、ざっと想像するも限りなし。それを強いるは我のわがままんらずや、と思い至る
ならば、死までの手続きとして、皆人の選ぶ道を我も引き受け、入院せんか、と考える。放射線治療・抗癌剤の医療的拷問も覚悟せんか
昨夜秀に伝えしは
1、 少しでも長く生きることでなく、苦痛は苦痛として晴れやかに死んでゆきたいということ。これが大方針也
2、 話し、歩き、食べ、書きたいという今までしてきた余が暮らしをそのまま継続しつつ、それが不可能となりたるときはホスピスに入って安楽死したしということ
奥さんは「夫が亡くなるめでの日々」に次のように書いている
妻にも告げずにひとりでひどい病状を抱え込んでいるのが最善の選択と思っていたのかと、私は胸が蓋がる思いです。もっと夫の肩の荷を分けてもらいたかったと思います
文中に記載されている印象に残る部分を抜粋してみる
▲運命は、誰かに起こることは汝にも起こるものと覚悟しおくべし、自分の自由にならぬもの(肉体もしかり)については、運命がもたらしたものを平然と受けよ、できるならばみずからの意志で望むものの如く、進んで受けよ」とセネカは教う
その心構えの訓練をセネカを読みながらずっと続けてきたので、このときも電話口にて、はいそうですか、と静かに聞くを得たり
▲車中、思うことはただ「ついにこの日が来た」と言う一事を心に飲み込ませることのみにて、電車がどこを走っているかも覚えず、前に座った黒服の会社員はどういう思いで生きているかと思ったり、白靴下、超短スカートの女高生がケータイでしきりにうつのを、まるで架空の世界の人々の如く感じたり
▲自分に余命一年と知って以来、まわりのものすべてに対し愛しさの増すを覚える。すべてが愛おしく
▲また「徒然草」のいつも口中に唱えている言葉も、わが心をしゃんとさせるに役立っているようだ
― 若きにもよらず、強きにもよらず、思ひかけぬは死期なり、― 今日まで遁れ来にけるは、ありがたき不思議なり
自分を力づけるのは、キリストでも仏でもなく、こういう言葉だ、言葉の中にある真実だ
▲前々から生きるのは今日一日、「今ココ二」の時空しかないとして生きてきた。これが生涯かけて文学をやってきて最後に得たものだ。生きるのは「今ココ二」しかないと覚悟すれば、先に時があるかないかは何の変わりもないわけである
 人の生きる時は「今ココ二」だけ、これは唐代禅僧のだれもが実行した人生であり、ローマのセネカが言うところでもある。セネカはほうぼうで、自分はその日その日を最後の日として生きている、と言っている
あだな望みがその日まではと設定した可能な未来に時をあわせて生きているのではない。だからあと数年を仮に与えられても、それは辞退はしないが、その延長期間がどこで中断されても文句は唱えない、と。
▲幸福なる人生とは―心に不安がないこと、不動の内的な平安があることだ (セネカ)
▲生きる意義は、いかによく生きるかにありて、どれだけ長く生きるかになし
○ 文学者として自分の病を客観的に眺めながら、自らの内面を告白している
こと
書かれている量は少ないが、味わいのある内容になっていて同じ病を持つ者
として親しみを感じ、励まされる
○ 日記の部分は字体が大きく、行間のスペースがあるので高齢者には読みや
すくなっている

→画像[ ]
2009.03.06:choro

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