▼がん哲学外来の話―8
○「勇ましき高尚なる生涯―死んだ後に何を残せるか」
何かを残したい、それは自分の何かをこの世界に贈りたいという思いでです
病床にあり、死を前にしてそれを思うことができる
体は自由に動けなくなったとしても、人間の心は常に自由です。自由に何かを考え、新しい思いを創りだすことができる。そもそも生きるということは、肉体を維持することではなく、「心の活動」であるはずです。だとしたら、「どう生きるか」は「何を考え、何を思うかで決まる」
▲「何を考え、何を思うか」という行為は死を前にして急にできることなのだろうか
毎日の生活のなかで考えたり、思ったりする力を養っていきたい
それが生きがいに通ずるはず
▲何かを残せるとすれば、少なくとも家族にはともに生きた思い出を残したいもの
○『「このときのために自分は生きている」という思い』
人間の喜びには2つあります。「与えられる喜び」と「与える喜び」です
がんになったことで大きく失われるのは「与える喜び」でしょう
やってあげられることが極単に少なくなる
そのことで自分を無価値に感じたり、卑屈にさせることもあります。とても苦しいことです
それでも、がん患者になったからこそ与えられるものもある
それは社会生活というコントロールからはずれたことで得られる自由さと豊かさです
人間はある極限状態におかれると、心がどんどんシンプルになっていく
自分に不要なものをどんどん捨てていくプロセスがあって、本当に必要なものだけで生きていこうとする
だからこそ、がん患者は社会で頑張っている人の疲れ方が分かるし、おのずと力づける言葉をもつことができるのです
▲まだシンプルになりきっていない。
与える喜びに挑戦してみたい
2009.04.05:choro
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