▼初めての弔辞
大学時代のウエイトリフティング部の先輩が亡くなった
弔辞を依頼された
今まで数多くの告別式で、読み上げられる弔辞は耳にしていたが、自分で読みあげたことは無かった
所定の用紙を買いに文房具店へ走る
正式には巻紙に薄墨で書くのであるが、筆には自信がない
パソコンで書いてコピーできる用紙を勧められて買い求める
書き方もわからない
以前買っておいた「葬儀・法要の挨拶」という本を引っ張り出して読んでみたり、ネットで検索して見るが、これはと思えるような弔辞には出くわさない
弔辞は故人への最後の挨拶なのだから、自分なりの書き方でいいのではないか決めつけて書き始める
昭和26年くらいに大学にウエイトリフティング部を創設し、卒業後も後輩部員を熱心に面倒見てくれた先輩である
年2回の合宿や東京での試合などに必ず顔を出してくれた
個人的にも熊本国体と岡山国体に監督として同行してもらった思いで多い先輩なので、書く材料は沢山ある
まずは先輩との出会いから書きだしてみる
あとは印象に残っているエピソードを書いてみる
3分以内にしてほしいというので、書き連ねたエピソードを絞り込んでまとめてみた
東京での告別式は50人くらいの参列者であった
親族が30名くらいであとはウエイトリフティング部のOBである
3分という短い弔辞なので一気に読みあげて、初めての弔辞は終わった
数日後、「弔辞―劇的な人生に鮮やかな言葉」と題して、著名人45名の弔辞が掲載された文芸春秋の新年号を読んだ
選りすぐられた弔辞なのでみな感動的な弔辞である
自分が弔辞を書く前に読んでおきたかったと思う反面、読んでいたらかえって書きにくかったかもしれないとも思う
45名の弔辞の後に朝日新聞と読売新聞の元記者の論評対談が載っている
弔辞についてこのように書いている
・短文ほど度数が高い(度数というのはアルコールの度数で、短い弔辞ほど内容の
濃さがあるという意味)
・聞かせる弔辞というのは故人の知られざるエピソードが入っているもんだ
・若い頃を知っている友人の弔辞が1番だと思う
・亡くなった人の霊魂に対して話しかけ、ほかの人には理解できないというのが、本来の弔辞なんだろうな
・弔辞は悔い、後悔の念が滲み出るものでもあるかもしれない
生まれて初めて読みあげた弔辞であるが、初めてで最後の弔辞になりそうである

2010.12.17:choro

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