▼東北の関ヶ原2
長谷堂城を守るのは最上義光の右腕「志村光安」、副将は豪勇「鮭延秀綱」といわれ1千人前後の城兵が頑強に抵抗しました。
(小説などでは城兵の数を5千としているものも多いのですが、この城はそこまで大きくありませんし、山形城や須川沿いに展開した軍勢もあるので、最重要とはいえ支城一つにそんなに回せるほどの余裕はなかったでしょう)
直江勢は繰り返し繰り返し攻めますがなかなか落ちません。それどころか剣豪で知られる上泉泰綱など多くの武将が戦死する事態となってしまいました。
そんな中、義光が兼ねてより要請していた伊達家の援軍も姿を現します。今までは複雑な両家関係でしたが、孤立状態だった最上家にとっては非常に心強かったことでしょう。また、上山方面より侵攻した上杉勢は大将本村親盛を失い敗北します。最上勢にとって山形が挟み撃ちされるのを防いだこの勝利は大変大きいものでした。
そうこうしているうちに関ヶ原の徳川方勝利が当地にも伝わります。反転して攻撃されることに備えるため上杉勢は撤退することになりますが、それを追撃する最上・伊達勢との間で大激戦が繰り広げられます。難しい撤退戦を指揮する兼続の見事な戦法に、義光本人の兜にも鉄砲が命中するほどのすさまじい戦いです。(この兜は最上義光歴史館に展示されてます、必見!)結局、上杉勢は米沢に撤退、最上勢は庄内より侵攻した上杉勢も撤退または降伏し、ここに長谷堂合戦は終了します。両軍ともに多くの戦死者を出した東北地区まれにみる大激戦でした。
<評価は次回>
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2010.07.10:yusuke1970

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