2015 フィルム講座 大正3年対昭和9年 11:ながいファン倶楽部ライブラリー
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平成26年度「長井の心を育む推進事業」で公開した写真を取り上げる。
長井のまちには、その歴史の中で様々な建物があらわれては消えを繰り返してきた。現存しているものもあれば消えてしまったものもある。その時々の人々の暮らしを彩り、時代を形どってきた建物等を、大正3年・昭和9年の時間軸周辺でご覧いただく。
娯楽施設の大正3年と昭和9年
大正3年の地図
大正3年当時は、あやめ公園南にあった「偕楽館」のみ。明治34年創設で花道・桟敷席・枡席を備え、回り舞台もあった。大正3年に手直ししたが、大正6年、松ケ池公園に演芸館ができると衰退し、大正8年ごろには天童の業者に買い取られて姿を消した。写真はない。
昭和9年の地図
昭和9年当時、娯楽施設は長井町に3軒、長井村に1軒、豊田村に1軒あった。
松ケ池公園にあった「演芸館」、昭和初期の写真。あやめ公園南にあった偕楽館は大正8年には姿を消し、かわりに小出に整備された。この建物は大正5年秋に山形市で開催された「奥羽六県連合共進会」の会場に建築されたもので、それをそっくり移築したもの。民間による運営で始まり、幾多の変遷を経て昭和49年に姿を消した。共進会は山形県庁の落成を記念して行われたもので、第3会場まであり、主会場である県庁(現文翔館)敷地、県会議事堂の南西に整備されたものだ。白亜の威容を誇り、長井町の名物になった。
長井駅前通りにあった「菊水館」。写真は昭和10年に東海林太郎アトラクションが開催される時のPRの様子写真だが、左手に写っている建物が「菊水館」である。建物の杮落しは大正12年11月で、昭和49年5月30日に惜しまれながら閉館した。長井町初の映画館で、宮地区を代表する顔ぶれが名を連ねた株式組織でスタート。娯楽の少ない時代、民衆を楽しませた。上映に当たっては米沢の常設映画館である常盤館からピアノ・フィルム・映写技師・弁士・映写機を持ち込んで週2回、行っていた。翌大正13年には松竹・日活と契約し、常時上映となる。
常盤館は小出に昭和3年夏に開館しお盆興行を行った。その映画は「地雷火組」。米沢の常盤館が長井に進出し、当時は第七常盤館として営業していた。昭和7年ころには、今泉にも第八常盤館を開設したが、こちらは昭和18年で幕を閉じた。長井の常盤館の閉館は、昭和62年8月に閉館、そこはタウンセンターとして生まれ変わることとなる。写真は昭和62年のもの。
もう一つは「栄楽館」。写真はない。栄楽館は羽前成田駅前通り北側にあった映画館。週2回の上映を行い、芝居やのど自慢などの会場に利用されたが昭和30年1月に閉館した。同館が開業したのは大正11年12月11日のことで、長井線が白鷹町鮎貝駅まで開通した年だ。株式の組織で運営され、成田地域に活気をもたらした。