あやめ公園の成り立ち 6:ながいファン倶楽部ライブラリー
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昭和37年7月4日、花菖蒲の世界で新品種が発見された。それまでの一般的なあやめ公園から、「長井古種という新品種が保存されているあやめ公園」として全国に知られていった・・・ その歴史をたどってみよう。
長井古種は希少で貴重な花菖蒲の品種となった。花菖蒲は、江戸時代後期に品種改良され今に繋がるが、日本に自生している「ノハナショウブ」を改良したとされている。しかし、ノハナショウブから園芸種のハナショウブまでを改良することは、江戸時代の技術では不可能とされた。そこに「長井古種」が発見されたわけで、これこそが江戸に運ばれて改良されたとの見方が現在の考えだ。つまり「ノハナショウブ」と「ハナショウブ」の中間に「長井古種」が位置しているということである。それまで花菖蒲の系は「江戸系」「伊勢系」「肥後系」の三つだったが、以降「長井古種」が加わり4系となった。
長井古種として名付けられた第1号 「野川の鷺」 すべてがこの花から始まる
長井のあやめ公園は、以降、日本花菖蒲協会の鑑賞園に指定されている。
昭和38年には、名園である明治神宮から江戸種の古花27種200株を譲り受けた。この古花も園内に大切に保存されている。
昭和46年、朝日新聞社から「花菖蒲大図譜」が発刊された。本格的な花菖蒲図譜の発行で監修を日本花菖蒲協会が行っている。図譜には長井古種15種が掲載された。
昭和53年6月、日本花菖蒲協会会長・平尾秀一氏から寄稿いただいたものを掲載する。平尾氏は昭和37年以降、幾度も長井を訪れ、育成に指導をいただいた。
日本花菖蒲の源流 長井あやめ公園の古品種
花菖蒲は古来、あやめともよばれ、桜と共に世界に誇る日本固有の名花であります。長井あやめ公園にも、明治神宮から特に分与を受けた品種を始め、多数の美花があります。
さて今日全国各地で季節を飾っている花菖蒲の品種は、江戸時代に旗本・松平菖翁がみちのくから「花かつみ」すなわち野花菖蒲を取り寄せて改良したのが始まりと伝えられています。
ただし、ここで言う「花かつみ」は今日、私達が山野で自生をみる野花菖蒲と同じであったとは考えられません。今日、野花菖蒲と松平菖翁が遺した花菖蒲の間には、花の色彩や形や大きさにおいてあまりにも遠い隔たりがあるからです。
日本花菖蒲協会の権威ある先生方は、この点を種々の角度から検討された結果、今日あやめ公園に伝わる一群の古品種こそ松平菖翁の品種の元となったものであり、隔言すれば松平菖翁の品種と「花かつみ」を繋ぐものであり、むしろ「花かつみ」そのものではないかという結論を下しています。すなわち、長井あやめ公園の古品種は日本最古の花菖蒲であることが証明されたのです。
これらの品種は近年まで無銘のまま伝えられてきたのでしたが、長井市においては、以上の事情に鑑み、これらの花菖蒲に、小桜姫・長井小町・長井小紫・朝日の峰・郭公鳥・麗人・藍島・三淵の流れ・・・・・などの名を与え、今後永久に保存栽培すべく努力しています。
以上が起稿文である。今、長井市は長井古種34種、長井系24種を大切に保存育成している。
昭和46年に発刊された「花菖蒲大図譜」
図譜には長井古種15種が掲載されている 写真は「日月」「出羽娘」「麗人」「藍島」「三淵の流れ」
「長井小町」が1ページにわたり掲載されている