長井の明治 5:ながいファン倶楽部ライブラリー

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長井の明治 5


元禄7年(1694)に最上川舟運によって宮舟場が設置されて以来、飛躍的に商人町へと変貌した江戸時代。明治に入りどのように長井は変わっていったか、年譜形式で紹介する。

 

治40年5月

 

 

 

竹田嘉蔵、点字講習所を始める。明治43年4月8日、私立置賜盲学校となる。普通科と技芸科に分かれ、生徒15人。外の郡よりも入学した。大正5年3月30日に閉鎖

長井小学校校舎東に整備 写真右側

 

明治40年5月23日

 

 

 

成田尋常高等小学校、五十川高等小学校、開進尋常高等小学校が合併。五十川山口東(5反7畝5歩買収)に新校舎を建設。成田・五十川・白兎の三大区を一学区とする

 

 

明治41年2月1日

 

 

長井十日町郵便局(無集配)を分設。場所は小桜酒造道向かい

 

 

明治41年5月

 

二重坂改修

明治41年

 

 

この年から3年計画で、松ヶ池公園の東西に築山を整備。東、南、西に堤も築かれ区画も方形となる

宮公園の絵葉書

宮公園は明治40年の創始

 

 

明治42年4月1日

 

米沢高等工業学校(現山大)創立

 

明治42年4月6日

 

最上川大洪水

 

明治42年8月10日

 

白川大出水、天坪道路決壊

 

明治42年8月

 

羽陽館川村製糸工場倒産

 

明治42年10月

 

この頃、小出高砂町、尾上町、松ヶ坂技町が誕生

 

明治43年4月2日

 

長井商工会の前身できる。理事長は横山孫助、理事竹田清五郎、書記立原和愛

 

明治43年4月

 

本郡紬織物同業組合を置賜紬織物同業組合に改める

 

明治43年

 

七兵衛つつじを全てもらい受け、白つつじの名所として「つつじ公園」の名を用いるようになる

 

明治43年5月

 

伊佐沢小学校で父兄参観日を設ける

 

明治43年

 

宮公園下に金田勝見が経営する茶屋のわきにあやめ(花菖蒲)を植えた。あやめ公園の創始

 

明治43年8月27日

 

長井町長に湯原弥三郎(上山出身)

 

明治43年11月11日

 

長井町に電話開通。電話交換業務開始(電柱100本建つ)

明治43年12月5日

 

 

長井町内に、51箇所に特設電話が架設された。

本町通り

 

明治44年3月

 

電話番号簿発行(ガリ版刷り)

明治44年6月1日

 

 

初代郡会議事堂を置賜紬織物同業組合が買い上げ事務所にする

門柱に同業組合の文字が

 

 

治44年5月24日

 

十日町より出火、24戸焼失

 

明治44年10月

 

西置賜郡会議事堂落成式 

明治44年度

 

 

西置賜郡会議事堂、特別会計で。設計費は150円。初代郡会議事堂の売却金も充てる。売却先は「置賜織物同業組合」に、6月に入居し、初代は模様替えと増築がなされた。大正12年の郡制廃止まで事務所として活用、以降組合は、旧西置賜郡立図書館・物産陳列館を譲り受け移転。初代郡会議事堂は、荒砥繭市場の建物として買い取られた。その場所には昭和4年、長井税務署の建物が新築された

当時の絵葉書

 

 

右に郡会議事堂、中に郡役所、奥に初代の郡会議事堂(置賜紬織物同業組合に払い下げ)

 

 

明治45年3月15日

 

長井自動車共栄会設立

 

明治45年4月

 

乗合馬車が長井・荒砥間、長井・手ノ子間を走る

 

明治45年4月

 

長井自動車共栄会を設ける。横浜よりフォード一台購入。当時鶴岡にしかなかった。赤湯・長井間を走る

 

明治45年5月8日

 

日刊米沢新聞刊行

 

 


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