地方検察庁米沢支部と米朝師匠:フィルムコミッション

フィルムコミッション
地方検察庁米沢支部と米朝師匠


今日のあさいちでもやっていましたが、もはやインフルエンザが話題になるシーズン、風邪をひいている方も随分いらっしゃるようです。
昨日は健康診断ということで、少し早めにすこやかセンターの健診センターに向かいました。裁判所の斜向かいの角、地方検察庁米沢支部の傍らに風の神が鎮座しています。
ちょっと覗いて、お参りをしてみました。

その説明板によると、

夏井家は元は会津の芦名氏の家臣で、夏井城(福島県耶麻郡高郷村)に住んでいました。芦名氏が伊達氏に滅ぼされた後、直江兼続をたより米沢に来て、上杉の家臣となりました。さて、夏井家に伝わる風の神の伝説は次のとおりです。
 天正年間のある年の大晦日、夏井の館に貧しげな僧が一晩の宿を願ってやってきました。主人は、かわいそうに思い、僧を泊め料理と酒でもてなしたところ、翌元旦、僧は「実は自分は人間ではない。風の神(疫癘神)である。昨晩のお礼に、この家に疫癘(はやり病)が入らないように」といって、梵字の呪文を書いたお札を残し、姿を消しました。その後、夏井家では館内に風の神を祀るお堂を建て、米沢に移ってからもお堂に祀りました。
 ところが、明治になって夏井家が他の町に移転したところ不幸が重なり、夏井家では風の神を移した祟りと思い、元の場所に風の神を分霊し、町内会で祀ってもらうよう頼みました。
 風の神は、風邪を防ぐ神様として信仰されていたので、町内会では別当を舘山口町の千勝院に依頼し、お札を配り、祭りを続けました。昭和になってからは風の神講を作り、昭和24年には新たに御輿を作り盛大な祭りを行いました。この御輿行列は交通問題もあって中止となり、御輿は昭和41年に上杉博物館に寄贈され収蔵されています。
 昭和25年、この夏井家の屋敷跡に検察庁が建つこととなりましたが、こうした理由で、特別にお堂がそのまま残されたのです。 昔は「大根二本を神前にお供えし、前の人が供えた大根一本をもらい、それを家族で食べると風邪に罹らない」といって、大根がお供えされていましたが、現在はその名残りなのでしょうか、大根2本を描いた絵馬が掛けられています。

とあります。享保10年の地図では夏井伊兵エとなっていて裏が清水守となっているのでここで水を汲んでいたのでしょうか。米沢年表には明治33年4月九里とみ、表町夏井範鑑宅にて裁縫私塾を開いたとありますが、同所なのかは不明です。

この神様で思い出すのが桂米朝師匠の「風の神送り」という噺です。
多分中学校のころNHKラヂヲで聞いたんだと思いますが、内容はあまり覚えていません。昭和40年ごろ米朝師が復活した噺らしいのですが、本人はよくわかって話しているのですが、中学生には、いや他に聞いている人にもあまりぐっと内容が伝わってくるというものではなかったような気がします。

ちょっと学校の授業のような、こっちもある程度知識がないと楽しめないような噺を米朝師匠は時折されていたような気がします。
此処の前を通るといつも米朝師匠の顔が浮かんできます。一回は生で聞いてみたい噺家の一人です。
2011.10.25:Copyright (C) 珈琲豆屋です!
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