「俺ら田舎さ帰(け)るだ」…コロナからの逃走:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ
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「俺ら田舎さ帰(け)るだ」…コロナからの逃走
2020.07.02:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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「テレビも無ェ ラジオも無ェ 自動車(くるま)もそれほど走って無ェ ピアノも無ェ バ−も無ェ 巡査(おまわり)毎日ぐ〜るぐる…俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ 東京へ出るだ 東京へ出だなら 銭(ぜに)コァ貯めで 東京でベコ飼うだ」―。代表作“人間失格”で知られる作家の太宰治と同じ青森・金木町(現五所川原市)出身の演歌歌手、吉幾三(67)が「俺ら東京さ行ぐだ」(1984年)と絶叫したのは36年前。その大都会から今度は「俺ら田舎さ帰(け)るだ」―の大合唱が風に乗って聞こえてくる。「俺らコロナがおっかねェ なんにも無ェくても 俺ら田舎がェ…」という歌い出しである。
「コロナニモ負ケズ岩手ハゼロ続くサウイフ処ニワタシハ住ミタイ」(6月21日付「朝日歌壇・俳壇」)―。「感染ゼロ県」のふるさとについて、郷土の詩人で童話作家の宮沢賢治はかつてこう書いた。「イ−ハトヴは一つの地名である。実はこれは著者の心象中に実在したドリ−ムランドとしての日本岩手県である」(『注文の多い料理店』の新刊案内のチラシ)―。コロナ禍のいま、“夢の国”(イ−ハト−ブ)が注目を集めないわけがない。この投句に見られるように、地方移住ブ−ムが過熱しそうな気配である。「アフタ−コロナの移住を見据え…」―。言葉は悪いが、まるで“便乗商法”みたいに「イ−ハト−ブ」本家の当市花巻も「みんなの移住フェス2020オンライン」なるイベントに参加するなどはしゃぎまくっている。
「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」―。芭蕉の句がそこはかとなく胸によみがえってくる。たとえば、がれきの荒野と化した旧花巻城址のように、過疎化と少子高齢化の波をもろに受けた“夢の跡”が目の前に渺渺(びょうびょう)と広がる。刹那(せつな)、この光景にもうひとつの詩句が重なる。「石をもて」ふるさとを追われた同郷の歌人、石川啄木のあの有名な望郷の歌が…「ふるさとの 訛(なま)り懐かし 停車場の 人ごみのなか そを聴きにいく」―
そして、追い打ちをかけるように室生犀星の“悪魔のささやき”が耳元でブツブツつぶやいている。「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの/よしやうらぶれて異土の乞食(かたい)となるとても/帰るところにあるまじや…」(「ふるさと」)―。Uタ−ンはしたものの、いったんは故郷を捨てた“棄郷者”としての内心は忸怩(じくじ)たるものがある。
「どこかに故郷の香りをのせて/入る列車のなつかしさ/上野は俺らの心の駅だ/くじけちゃならない人生が/あの日ここから始まった」―。大都会にあこがれて「俺ら東京さ行ぐだ」とみんなが声を張り上げていたちょうど20年前、啄木が「そ」(訛り)を聴きに行った上野駅を舞台にした演歌が大ヒットした。「ああ、上野駅」(1964年)―。高度経済成長のその時代、“15の春”ともてはやされた少年少女を乗せたすし詰め列車が陸続として、東京に到着した。その後の「東京一極集中」の土台を築いたのは半ば強制的にふるさとを追われた「金の卵」たちだった。集団就職者の愛唱歌だったこの歌を記念する歌碑がいまもひっそりと上野駅前に建っている。
この歌のヒットメ−カ−、井沢八郎も奇しくも青森・弘前市の出身である。賢治や啄木、そして太宰らの多彩な文学表現を、井沢と吉というふたりの演歌歌手がみちのくの“恨み節”として歌い上げたのではないかという気がする。井沢は13年前、上野駅近くの総合病院で病死した。享年69歳。この病院では今回の新型コロナウイルスによる集団感染が発生し、入院患者43人が死亡するという悲劇があった。不思議なめぐり合わせである。
金の卵たちを迎い入れた「上野駅」はこれから先、集団就職ならぬ“集団疎開”の拠点駅にその姿を変えていくのであろうか。慶応大学大学院の鶴光太郎教授(比較制度分析)はこう語っている。「テレワ−クの流れは不可逆的。遠隔でのコミュニケ−ションが拡大すれば、大都市の企業につとめながら居住は地方といった地方活性化が始まるだろう」(6月25日付「朝日新聞」)―。今後、地方回帰が加速されるようなことになれば、それこそ「コロナ神」の思し召しとさえ思いたくなる。
(写真は上野駅の到着ホ−ムを埋め尽くす「金の卵」たち。高度成長期にはこんな光景が連日、繰り返された=インタ−ネット上に公開の写真から)