「3・1」から「3・11」へ…記憶の架け橋を:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ
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「3・1」から「3・11」へ…記憶の架け橋を
2019.02.28:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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「わたしたちは、わたしたちの国である朝鮮国が独立国であること、また朝鮮人が自由な民であることを宣言する」(外村大・東大大学院総合文化研究科教授による現代語訳)―。100年前(1919年)の今日3月1日、現在のソウル中心部にあるパコダ公園(当時、現タプコル公園)で、「独立万歳」(トンニプマンセ−)の声と共に冒頭の宣言文が高らかにうたい上げられた。「3・1」独立運動はこれをきっかけに朝鮮半島全土に広がった。この約2ケ月後の5月4日、今度は中国でのちに「五・四運動」と呼ばれる抗日運動が始まった。「1・9・1・9」は日本がアジアのナショナリズムと敵対することになる節目の年だった。
さかのぼること約9年前の1910年、日本は当時の大韓帝国(韓国)を併合し、全土を植民地支配下に置いた。宣言文の中にこんな一節がある。「自由が認められない苦しみを味わい、10年が過ぎた。支配者たちは私たちの生きる権利をさまざまな形で奪った。…彼ら日本人は征服者の位置にいることを楽しみ喜んでいる」―。独立運動に参加した朝鮮人は約200万人。死者7509人、負傷者1万5850人を数え、4万6306人が逮捕された。この運動に呼応した10代の少女、柳寛順(ユ・グァンスン)は日本の憲兵隊に逮捕され、16歳の時に獄死した。「朝鮮のジャンヌ・ダルク」とも呼ばれた彼女は日本による植民地支配に抵抗した朝鮮民族のシンボルでもあった。
朝鮮総督府のもとで、天皇制イデオロギ−による苛烈な同化政策が推し進められ、こうした植民地支配は太平洋戦争で日本が敗北するまで35年間、続いた。そして、100年後の日本のいま―。「竹島」問題や元徴用工への賠償問題、元慰安婦をめぐる天皇陛下への謝罪要求、レ−ダ−照射問題、さらには北朝鮮による拉致問題…。ふたたび、朝鮮半島に対する憎悪が渦巻いているようである。「独立万歳」の声は遠い歴史の彼方にかき消され、「そんな歴史はそもそもなかった」という修正主義が闊歩(かっぽ)しているような錯覚さえ覚える。宣言文の中にはこんな一節も見える。「支配者はいいかげんなごまかしの統計数字(原文では「統計數字上ノ虚飾」)を持ち出して自分たちが行う支配が立派であるかのようにいっている」―。日本の支配を正当化するこの言説について、外村教授はこう述べている。
「総督府の“開発政策”が朝鮮人にはありがたいものではないという意味だったのだろうが、100年後の日本人は、文字通りの『統計数字の虚飾』の問題に直面している。他民族を騙(だま)す支配者は自国民も騙す、チェック機能が働かなければそれは繰り返される、という教訓も読み取れるかもしれない」(2月22日付「週刊金曜日」)―。そういえば、「あった」ことを「なかった」ことに、それとは逆に「なかった」ことを「あった」ことにでっち上げる便法はこの国の支配層の伝統的な手法だったことにはたと思い当たる。そして、国民のほとんどがそのことに関心を向ける気配はない。
「3・1」から「3・11」へ―。(2011年)3月11日、日本列島の東半分を襲った大震災から間もなく、丸8年を迎える。この日がたまたま、私の誕生日に当たっているというのも何か不思議な巡り合わせである。「この間、避難者に向けられる目は次々と変わった。当初は憐(あわ)れみを向けられ、次に偏見、差別、そしていまや、最も恐ろしい『無関心』だ」と新聞記者の青木美希さんは自著『地図から消される街』のはじめにの中にこう書き、エピロ−グをこう結んでいる。「被害者、避難者の声は、復興、五輪、再稼働の御旗のもとにかき消されていく。…あとには何もないまち。名前をなくすまち」(2月2日付当ブログ参照)―。
わが宰相のあの破廉恥(はれんち)な発言をまざまざと思い出す。大震災の2年後、安倍晋三首相は五輪招致をこんな風に呼びかけた。「フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は、統御されています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすことはありません」―。いわゆる「アンダ−コントロ−ル」発言である。
わずか8年前の記憶にしてこうである。いわんや100年前は…。だからこそ、私は単なる語呂合わせではなく、「3・1」から「3・11」へと記憶の架け橋をかけたいと思う。100年前の「独立宣言」こそが被抑圧者の共通の渇望(かつぼう)にちがいないからである。そっと、こう口ずさんでみる。「わたしたちは、わたしたちの国である琉球国が独立国であること、また琉球人が自由な民であることを宣言する」―。県民投票の圧倒的な「民意」などまるで歯牙(しが)にもかけないかのように、沖縄の「辺野古」新基地建設が強行されている。朝鮮半島に対するかつての植民地支配の現在進行形が目の前に存在する。語呂合わせを言うなら、「19(征く)・19(征く)」の方がよっぽど、当たっている。征服者の「征」である。
(写真はユ・グァンスンを先頭にデモする民衆とそれに銃を向ける憲兵隊を描いたレリ−フ。一連の絵がタプコル公園に設置されている=インタ−ネット上に公開の写真から)
《追記−1》〜沖縄の「民意」と地方議会の役割
東京都に住む無職の男性(71)が朝日新聞「声欄」(2月27日付)に以下のような投書(要旨)を寄せていた。「例えば昨年末、東京都小金井市議会が、辺野古の建設工事の即時中止や普天間飛行場の運用停止、代替施設の必要性について国民的議論などを求める意見書を可決した。同じ地方自治体として本土の各地方議会がやるべきなのは、『辺野古新基地の強行建設反対』などと声を上げることではないか。まもなく統一地方選がある。身近な地方議員選の候補者に、辺野古新基地建設の是非について議論することを公約とするよう求めてはどうだろうか。私たちも『沖縄の民意を活(い)かせ』と意思表示する時だ」
《追記―2》〜請願(陳情)権の行使
「ご異議なしと認めます」。東京都文京区議会本会議で1日、選択的夫婦別姓制度について国会審議を求める意見書の提出を要望する請願が全会一致で採択された瞬間、なんだろう、不思議な爽快感があった。請願者はソフトウエア開発会社「サイボウズ」社長の青野慶久さんと、私(毎日新聞記者)。この意見書1通で国が動くなんて思ってはいない。でも、日本国憲法16条が定める「請願権」を生まれて初めて行使してみた体験を、私は無意味だとも思わない。【3月2日付「毎日新聞」電子版】