花巻版「歴史秘話ヒストリア」―その2の1(玉砕の島「硫黄島」秘史)…「昭和」から「令和」へ:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ

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花巻版「歴史秘話ヒストリア」―その2の1(玉砕の島「硫黄島」秘史)…「昭和」から「令和」へ


 

 もうかれこれ、1年も前のことになる。朝日新聞の先輩で政治部長や局長職、代表職などを歴任した羽原清雅さんから「花巻出身の兵士の数奇な運命について調べている。力を貸してほしい」というメ−ルが届いた。概略を聞いて驚いた。その兵士は「玉砕の島」と言われた硫黄島から奇跡の生還を果たしたものの、島にふたたび戻った末に自害した―という顛末(てんまつ)だった。関係者の消息捜しの手伝いをしながら、私は足元に転がる戦争の記憶が封印される形でひっそりと、歴史の闇に姿を消そうとしていることにショックを受けた。

 

 羽原さんはそのいきさつを「ある兵士の二重の不幸」というタイトルで、メ−ルマガジン「オルタ広場」4号(2018年8月20日発行、通算175号)に掲載した。当時、私は妻を亡くした直後で、きちんと目を通すいとまもなく時を過ごしてしまった。いま、読み進むうちに慄然(りつぜん)たる思いになる。そこには先の大戦の悲劇の極限が凝縮されていた。「アジア太平洋戦争とは一体、なんであったのか」―。新しい元号へと時代をまたぐ前に、その”歴史秘話“に目を凝らさねばならないと思った。中村草田男にならえば、「降る雪や/昭和は遠くなりにけり」。筆者の許しを得て、5回にわけて転載したい。

 

 

《前文》

 

 戦争というものは残酷である。一過性のものではなく、その残酷は悲しみとなって、尾を引き続ける。「時」は悲しみを癒してくれる、というが、本当にそうなのだろうか。古い新聞をめくるうち、ひとつの記事に目を引かれた。一兵士として激戦の硫黄島に動員された若者が、全島壊滅のなか、岩穴に逃げ込み、米軍の目を逃れて4年近く生き延びる。昭和24年、ついに投降し、帰国する。だが、島に埋めた日記を掘り出そうと一時の帰島を望み、認められた。同26年春、久しぶりの硫黄島に戻る。そこに、不幸が生まれる。その兵士の心のうちは、推測はできても、真実はわからない。

 

 小笠原諸島にあるその島はいま、東京都に属しながら、相変わらずの戦争の名残を残して、自衛隊が駐屯する。一般人は立ち入れない。太平洋戦争の遺体はまだまだ多く残され、戦争はいまも終わってはいない。

 

●《第1話》〜海軍水兵長・山蔭光福

 

 その19歳の若者は、岩手県花巻市出身の山蔭光福という。1925(大正14)年6月生まれ。終戦まで1年足らずの1944年9月、横須賀の海軍砲術学校で3ヵ月の厳しい訓練を受け、浦賀防備隊から硫黄島増援に志願する。この年6月には、米軍の空襲と艦砲射撃を受け、この島の命運はすでに尽きかけているときの増派だった。
 

 それでも山蔭は、地下5メ−トル、横穴の深さ10メ−トルの壕掘りや砲台つくりに追われた。炎天下に与えられた水はわずか1合、食料供給の輸送船は月に1、2回になって主食は4割減といった状況だった。12月になると、1日1回程度だった米軍の空襲が2回3回と増え、B24、B29機による連続爆撃は夜間30分おきとなり、一度に5キロ爆弾を数百発も落とされる事態になっていた。翌年2月になると、3つの空港のうち一つが、その2日後には島の4分の1が占領された。そこで、上陸した米軍への斬り込みが計画され、55人の砲台員は半分ほどに減り、3月12日には生存者は山蔭を含む6人だけになっていた。

 

 3月17日は硫黄島全滅の日。166メ−トルの摺鉢山に米兵が星条旗を立てる姿の写真は大きな話題になった。この戦闘は、クリント・イ−ストウッド監督の『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』でもよく知られている。ちなみに、この旗を掲げた米兵6人のうち3人がその後の戦闘で亡くなっている。

 

 

(写真は硫黄島の摺鉢山頂上に星条旗を掲げる6人の米兵。1945年2月23日、報道写真家のジョ−・ロ−ゼンタ−ルが撮影。同年のピュ−リッツア−賞に選ばれた=インタ−ネット上に公開の写真より)

 

 

《追記》〜「IWO JIMA」と「いおうとう」

 

 「史実を見れば、約1200人の島民の多くが「強制疎開」させられ、一部は軍務に動員された。戦後も米軍による島の占領は続き、1968年の日本返還後は自衛隊の基地に。島民の帰郷はいまだに実現していない。74年前のきょう3月17日、栗林(忠道)中将は総反撃を期して、『訣別(けつべつ)の電文』を大本営に打電した。『玉砕の島』は米国では『IWO JIMA』だが、島民には『いおうとう』。これだけの時が過ぎても、異なる悲しみは続いている」(2019年3月17日付朝日新聞「天声人語」から、要旨)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2019.03.27:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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