「改元」恩赦と夕張放火殺人事件…夕張炎上、息を吹き返した大露頭!?:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ

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「改元」恩赦と夕張放火殺人事件…夕張炎上、息を吹き返した大露頭!?


 

 「夕張保険金殺人事件を歩く」―。知人に勧められて購入した『花摘む野辺に―夕張追憶』という何とも穏やかなタイトル本の副題に眼がくぎ付けになった。35年前の1984(昭和59)年5月5日の子どもの日、北海道夕張市で炭鉱下請け会社の宿舎が全焼し、子ども2人を含む7人が死亡する大惨事が起きた。首謀者の暴力団組長夫妻が保険金目当ての放火殺人の疑いで逮捕され、13年後に戦後初めてとなる同時死刑に処せられた。本書は犠牲者の中に音信不通だったかつての同級生がいたことを知った札幌市在住の元高校教師、菊池慶一さん(86)がその消息を訪ね歩いたルポルタ−ジュである。表題はその同級生が好きだった流行歌「誰か故郷を想わざる」が出典である。

 

 この事件は私にとっても決して忘れることができない。最初は「美談の主」として、そして最後は「恩赦(おんしゃ)」騒動の当事者として―。3年前の1981(昭和56)年11月、同じ夕張市内にあった北炭夕張新炭鉱でガス突出事故が発生。戦後北海道では最悪となる93人が死亡した。暴力団夫妻が経営する下請け会社の従業員7人もこの時、命を落とした。残された犠牲者の妻が事故直後に出産した。刑務所に服役中だった夫に代わって会社経営に辣腕(らつわん)を振るっていた妻がその名付け親だった。まだ30代半ばの利発そうな女性だった。美談に仕立て上げたのがきっかけで取材に行き来するようになった。ある時、麻雀に誘われた。隠された一面をのぞき見た思いがした。

 

 「あんたは堅気(かたぎ)だから、ヤクザ麻雀はしないから安心して…」と彼女は言った。興に乗ると、舌が滑らかになった。「指を詰める時にはね、迷うことなくスパッと…」―。身振り手振りをされた時にはさすがにザワッとしたことを覚えている。北炭事故の際、従業員にかけられていた多額の死亡保険金が振り込まれた。遺族に支払った分を除いても1億円以上が手元に残った。この時の“うま味”が犯罪の引き金になった。1987(昭和62)年3月、札幌地裁は首謀者の夫と妻に対し、殺人の共謀共同正犯の責任を認定して死刑判決を、放火の実行犯には無期懲役の判決を言い渡した。その後の展開は世間をアッと驚かせた。

 

 翌年10月になって、2人は突然控訴を取り下げ、死刑が確定した。当時、昭和天皇の病状が重篤になり、仮に天皇が崩御(ほうぎょ)すれば恩赦が行われ、死刑の執行を免れると期待したためであった。恩赦の対象となるには刑が確定していなければならない。しかし、「平成」恩赦では懲役や禁固の受刑者、死刑確定者は対象にはならなかった。当てが外れた2人は今度は一転、札幌高裁に控訴審の再開を申請したが認められず、最高裁に提出した特別抗告も1997(平成9)年5月に棄却。同年8月1日に札幌刑務所の断頭台の露と消えた。獄中で小説を書き続けた、連続ピストル射殺事件の死刑囚、永山則夫(当時48歳)にも同じ日、刑が執行されている。

 

 ちなみに、3月15日付当ブログで取り上げた金子文子と朴烈に対しては、1926(昭和2)年3月死刑判決が下されたが、翌4月5日に「天皇の慈悲」という名目で恩赦が出され、ともに無期懲役減刑された。ところが、朴烈は恩赦を拒否すると主張、文子も特赦状を刑務所長の面前で破り捨てたといわれる。文子はその後、獄中で自殺した。さて、「令和」恩赦を当て込む“塀の中”から、今度はどんなドラマが飛び出すことやら…。

 

 「これはまるで亡霊のような本です。わたしは、犠牲者の一人が同級生だったという、わずかの縁(えにし)をたよりに、友への悲しみと、閉山のただ中にあった夕張の姿を書き残したかったのです。炭鉱最盛期の喜び、閉山の悲しみ、悲喜を合わせて記憶していきたい。忘れることの幸せだけでなく、忘れないことの幸せを大切に抱えて…」―。菊池さんはあとがきにこう書いている。

 

 放火殺人事件の翌1985(昭和60)年5月、犠牲者たちが働いていた三菱南大夕張炭鉱で62人が死亡するガス爆発事故が起きた。5年後に閉山に追い込まれ、炭鉱跡地はいま、ダム湖の底に沈んでいる。最盛期、20を数えた「炭都」・夕張からヤマが消えてもう30年になる。さらに、2006(平成18)年には夕張市が財政破綻。2期8年間、そのトップの座にあった鈴木直道さん(38)が今回の統一地方選で北海道知事に当選するなど時代の変化はめまぐるしい。

 

 「夕張食う(苦)ばり、坂ばかり、ドカンとくれば死ぬばかり」―。こんなざれ歌が記憶の底に刻まれている。5月中旬、令和元年の最初の旅先として、私は菊池さんと一緒に夕張再訪の計画を立てている。恩赦騒ぎを引き起こした死刑夫妻のことを含め、日本の繁栄の捨て石にされた“苦海”のたたずまいをもう一度、まぶたによみがえらせたいと思う。記憶の風化に抗(あらが)うためにも…。

 

 

 

(写真は夕張最後のヤマとなった三菱南大夕張炭鉱事故の犠牲者を弔う慰霊碑=夕張市南部青葉町で。インタ−ネット上に公開の写真から)

 

 

 

《追記》〜大露頭(石炭層)に引火か!?

 

 北海道夕張市高松の石炭博物館から、18日午後11時45分ごろ「白煙が見える」と消防に通報があった。市消防本部によると、1階から地下に続く見学施設の「模擬坑道」付近から出火したとみられる。坑道内に煙が充満しており、消火活動が長引く恐れがあるという。同博物館は冬季休館中で、けが人はいなかった。

 

 模擬坑道(約180メ−トル)は、かつて実際に使われていた坑道を改修したもので、石炭採掘に使う巨大な機材などを展示している。消防によると、坑道内の木枠に何らかの原因で着火し、石炭層に燃え移った可能性があるという。27日の今季のオ−プンに向けて、坑道内では18日夕まで溶接作業が行われていた。

 

 石炭博物館は、夕張市が「炭鉱から観光」のスロ−ガンのもと、1980年に開業した。財政破綻(はたん)で多くの施設が閉鎖するなかで、同博物館は石炭産業の歴史を伝える施設として資料価値が高いことから、同市が5億円をかけて大規模改修し、昨春、リニュ−アルオ−プンしていた。昨年度の入場者数は目標の1万4千人の2倍を超える約3万2千人で、破綻から再生に向けて、市ににぎわいを取り戻す施設として期待されていた(4月19日付朝日新聞「電子版」)



 

 



 

 


2019.04.17:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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