「コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」(下)…パオロ・ジョルダ−ノからのメッセ−ジ:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ

はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ
「コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」(下)…パオロ・ジョルダ−ノからのメッセ−ジ


 

 僕は忘れたくない。ル−ルに服従した周囲の人々の姿を。そしてそれを見た時の自分の驚きを。病人のみならず、健康な者の世話までする人々の疲れを知らぬ献身を。そして夕方になると窓辺で歌い、彼らに対する自らの支持を示していた者たちを。ここまでは忘れてしまう危険はない。簡単に思い出せるはずだ。もう今度の感染症流行にまつわる公式エピソ−ドとなっているから。

 でも僕は忘れたくない。最初の数週間に、初期の一連の控えめな対策に対して、人々が口々に「頭は大丈夫か」と嘲(あざけ)り笑ったことを。長年にわたるあらゆる権威の剥奪(はくだつ)により、さまざまな分野の専門家に対する脊髄(せきずい)反射的な不信が広まり、それがとうとうあの、「頭は大丈夫か」という短い言葉として顕現したのだった。不信は遅れを呼んだ。そして遅れは犠牲をもたらした。

 僕は忘れたくない。結局ぎりぎりになっても僕が飛行機のチケットを1枚、キャンセルしなかったことを。どう考えてもその便には乗れないと明らかになっても、とにかく出発したい、その思いだけが理由であきらめられなかった、この自己中心的で愚鈍な自分を。僕は忘れたくない。頼りなくて、支離滅裂で、センセ−ショナルで、感情的で、いい加減な情報が、今回の流行の初期にやたらと伝播されていたことを。もしかすると、これこそ何よりも明らかな失敗と言えるかもしれない。それはけっして取るに足らぬ話ではない。感染症流行時は、明確な情報ほど重要な予防手段などないのだから。

 僕は忘れたくない。政治家たちのおしゃべりが突如、静まり返った時のことを。まるで、結局乗らなかったあの飛行機を僕が降りたら、耳が両方とも急にもげてしまったみたいなあの体験を。いつだって聞こえていたあの耳障りで、常に自己主張をやめなかった政治家たちの声が―少し先を見据えた言葉と考察が本気で意見を言うことをことごとく妨げてきたあの横柄な声たちが―ぱったりと途絶えた時のことを。

 僕は忘れたくない。今回の緊急事態があっという間に、自分たちが、望みも、抱えている問題もそれぞれ異なる個人の混成集団であることを僕らに忘れさせたことを。みんなに語りかける必要に迫られた僕たちが大概、まるで相手がイタリア語を理解し、コンピュ−タ−を持っていて、しかもそれを使いこなせる市民であるかのようにふるまったことを。(移民たちのことを一切考慮せず、大切な知らせがイタリア語のみで伝達されていること、学級閉鎖にともない、いきなりオンライン授業が導入され、教育現場が混乱している状況などを指している)

 僕は忘れたくない。ヨ−ロッパが出遅れたことを。遅刻もいいところだった。そのうえ、感染状況を示す各国のグラフの横に、この災難下でも僕らは一体だとせめて象徴的に感じさせるために、もうひとつ、全ヨ−ロッパの平均値のグラフを並べることを誰ひとりとして思いつかなかったことを。僕は忘れたくない。今回のパンデミックのそもそもの原因が秘密の軍事実験などではなく、自然と環境に対する人間の危うい接し方、森林破壊、僕らの軽率な消費行動にこそあることを。

 僕は忘れたくない。パンデミックがやってきた時、僕らの大半は技術的に準備不足で、科学に疎(うと)かったことを。僕は忘れたくない。家族をひとつにまとめる役目において自分が英雄的でもなければ、常にどっしりと構えていることもできず、先見の明もなかったことを。必要に迫られても、誰かを元気にするどころか、自分すらろくに励ませなかったことを。

 

 陽性患者数のグラフの曲線はやがてフラットになるだろう。かつての僕たちは存在すら知らなかったのに、今や運命を握られてしまっているあの曲線も。待望のピ−クが訪れ、下降が始まるだろう。これはそうあればよいのだがという話ではない。それが、僕らがこうして守っている規律と、現在、敷かれている一連の措置―効果と倫理的許容性を兼ね備えた唯一の選択―のダイレクトな結果だからだ。

 

 僕たちは今から覚悟しておくべきだ。下降は上昇よりもゆっくりとしたものになるかもしれず、新たな急上昇も一度ならずあるかもしれず、学校や職場の一時閉鎖も、新たな緊急事態も発生するかもしれず、一部の制限はしばらく解除されないだろう、と。もっとも可能性の高いシナリオは、条件付き日常と警戒が交互する日々だ。しかし、そんな暮らしもやがて終わりを迎える。そして復興が始まるだろう。

 支配階級は肩を叩きあって、互いの見事な対応ぶり、真面目な働きぶり、犠牲的行動を褒め讃えるだろう。自分が批判の的になりそうな危機が訪れると、権力者という輩(やから)はにわかに団結し、チ−ムワ−クに目覚めるものだ。一方、僕らはきっとぼんやりしてしまって、とにかく一切をなかったことにしたがるに違いない。到来するのは闇夜のようでもあり、また忘却の始まりでもある。

 もしも、僕たちがあえて今から、元に戻ってほしくないことについて考えない限りは、そうなってしまうはずだ。まずはめいめいが自分のために、そしていつかは一緒に考えてみよう。僕には、どうしたらこの非人道的な資本主義をもう少し人間に優しいシステムにできるのかも、経済システムがどうすれば変化するのかも、人間が環境とのつきあい方をどう変えるべきなのかもわからない。実のところ、自分の行動を変える自信すらない。でも、これだけは断言できる。まずは進んで考えてみなければ、そうした物事はひとつとして実現できない。

 家にいよう(レスティア−モ・イン・カ−サ)。そうすることが必要な限り、ずっと、家にいよう。患者を助けよう。死者を悼(いた)み、弔(とむら)おう。でも、今のうちから、あとのことを想像しておこう。「まさかの事態」に、もう二度と、不意を突かれないために(了)

 

 

 

 

(写真はロックダウン中の自宅の窓を開け放ち、大空に向かってトランペットを吹く少年。この子らの未来を奪ってはならない=3月中旬、ロ−マ市内で。インタ−ネット上に公開の写真から)

 

 

 

《追記−1》〜コロナの時代の新たな日常

 

 安倍晋三首相は4日、緊急事態宣言を5月いっぱいまで延長することを発表した際の記者会見で、「有効な治療法やワクチンが確立するまで、感染防止の取り組みに終わりはない。それまである程度の長期戦を覚悟する必要がある」と述べ、さらに「『コロナの時代の新たな日常』を一日も早く作り上げなければならない」と続け、新型コロナウイルスを前提にした社会のあり方を模索する考えを示した。「新しい生活様式」とか「行動変容」などというのは上から与えられるものではなく、パオロが言うように自らが創り上げるものでなければならない。

 

 

《追記ー2》〜アクセス数が100万件を突破、ご支援に感謝!

 

 2010年、花巻市議に初当選した際「公人」の端くれとしての議員活動の報告の場として開設したHP(ブログ)へのアクセス数がこどもの日の5日、累計で100万件の大台を超えました。この10年間、ブログのタイトルは「イーハトーブ通信」から「マコトノクサ通信」、そして現在の「ヒカリノミチ通信」へと変わりましたが、フォロワ−の皆さま方のご支援がなければ、おそらく途中で挫折していただろうと思います。心から感謝を申し上げます。コロナ禍のさ中の大台通過に何か不思議な気持ちにさせられます。死力を尽くしてこの「大災厄(パンデミック)」に目を凝らせ、というコロナ神からのご託宣なのでしょうか。先行きの短い人生…その総括を兼ねた、どうかすると遺書めいた書き付けになるかもしれませんが、体力と気力の許す限り、脈絡もなく頭内に去来する事どもを記していきたいと思います。今後ともよろしくお願い申し上げます。

 

 

 

 

 


2020.05.03:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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