「十年一昔」という時間軸…記憶の風化の狭間にて:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ

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「十年一昔」という時間軸…記憶の風化の狭間にて


 

 「(福島原発事故は)アンダ−コントロ−ル下にある」という“ウソ”の号令で始まり、復興五輪やコロナに打ち勝つなどという“マコト”しやかさを装った「祝祭」(東京オリパラ)が目の前に迫っている。まさに「百年の計」を地でいった英国の辞書作り(7月6日付当ブログ参照)とは裏腹な狂騒曲の幕開けである。コロナ禍に伴う緊急事態宣言発令下でのある種、狂気じみた光景を見せつけられているうちに「十年一昔」という言葉が反射的に口からもれた。100年という時間軸は逆に言えば、10年刻みの忘却の総量を指しているのではないか。そして、この忘却こそが「ウソから出たマコト」を操る巧妙きわまる装置ではないのか―

 

 盛岡市在住の作家で歌人の「くどう・れいん」さん(26)の最新作『氷柱の声』(群像4月号、単行本として講談社から刊行)は東日本大震災(3・11)で、“被災者(地)”とひとくくりにされ、あげくの果てにそっくり丸ごと記憶の風化にさらされた「忘れられた側」の物語である。主人公の「伊智花(いちか)」は盛岡市内の高校2年の時に「3・11」に遭遇した。以来、現下のコロナ禍までの10年間、それまで生かされ続けてきた人生をもう一度、自ら生き直そうという奔放な力強さを感じさせる作品である。被害が比較的に少なかった内陸部に住む伊智花は世間の無関心のただ中でもがき苦しむ“被災”の多様な実相に打ちのめされる。たとえば、祖父母と母と姉を津波で失った男性の、こんな悲鳴に似た声を…

 

 「いろんな人が僕の人生のこと勝手に感動したり、感動してる人に怒る人が居たり、忙しいすよ。僕はただ暮らしているだけなのに。確かに僕の人生は感動物語として消費されてしまっているかもしれない。でも、考えて見ると、ある日突然家族も家も全部なくしてしまった僕は、もうどっちみち美しい物語を歩むほかないんじゃないかって思ったりするんですよ。何を目指しても、敗れても、どうあがいても感動物語にしかならないんですもん…」―。そして、伊智花はデパ地下のコロッケ屋でバイトしていた時の、先輩店員のこんな言葉にドキッとする。

 

 「トゥ−さん(伊智花のニックネ−ム)サンイチイチにシフト入ったことないですか。わたしバイトはじめてすぐだったんですけどすごかったですよ。館内放送で『それじゃ黙とうするね、せ―の』みたいなの流れて、それからの一分間。やとわれパ−トも、館(やかた)のひとも、お客さんも。ギャルも外国の人もおじいちゃんもおばあちゃんも家族連れも、みんなその場に固まって、目をつぶって。わたし、そわそわしてこっそり目を開けて顔も上げちゃったんですけど、全員ちゃんと目、つぶってました。わたしが泥棒だったらいまの隙にカ−トからお財布取れるなとか思っちゃうくらいみんな集中してたんですよ」―

 

 1年にたった1回の「喪(も)」の日の光景を思い浮かべながら、そういえば私自身も同じような“不謹慎”を繰り返してきたよな……などと思いながら、そぞろ読み進むうちにパっと目を見開かされるような文章にぶつかった。「ん―、でもしょうがない。なるようにしかならないし、神様が振ったサイコロのことなら何を恨んでもなあって」―。伊智花の大学時代の友人で福島出身のト−ミ(崎山冬海)は震災後、ニュ−ヨ−クに留学。そこで新型コロナウイルスによるロックダウンに見舞われた。ボ−イフレンドの中国人は「中国ウイルス」という罵声を浴びせられた末に帰国し、ト−ミも郷里の福島へ。気が付くと、伊智花とト−ミが久しぶりに交わす会話はまるで“憑(つ)きもの”が落ちたみたいに明るい雰囲気に変化している。たとえば―

 

 「うん。ずっと、だれなのかわからないだれかの目を気にして、傷付かなければいけない、傷付かなかった分、社会に貢献できる人間でなければならないってがんばってた。わたしはいつのまのか『希望のこども』になろうとしてたんだよ」―。こんなやりとりの中で、ト−ミがふともらした「神様のサイコロ」という言葉に私は引っ掛かっていた。「感動物語」とか「希望のこども」などという強制のくびきから“被災者”を解放したのはもしかしたら「他人事」(震災)から、だれもがそのその”被災”から逃れることはできないという「自分事」(コロナ)へと思考回路の変換を促した”神様のサイコロ”…「コロナ神」の思し召しではなかったのか―こんな妄想が広がった。

 

 『氷柱(つらら)の声』は第165回芥川賞の候補作にノミネ−トされ、その選考会は7月14日に開催される。受賞を期待したい。当ブログは奇しくも「3・11」が誕生日である当年取って81歳の老翁が孫の世代に送る感謝と応援のメッセ−ジでもある。それにしても小説とは際限のない想像力をかき立ててくれる不思議な世界である。“五輪狂騒曲”が吹き荒れる中、この若い作家の感性から「忘却」の残酷さを改めて教えられた気がした。同世代の7人に取材し、執筆の動機について「あなたと震災のことで『言えなかったこと』『言うほどじゃないと思っていること』を聞かせてください」とあとがきに書いている。作品はこんな文章で締めくくられる。

 

 「まだすこし涙で潤んだ視界のなかで、窓の外に立派な氷柱が並んでいた。太いものや、細いものや、長いものや、短いもの。さまざまに違った氷柱はみな透き通って春の光を通し、静かに水滴を落としはじめていた。春だ」ー。あの大震災から今日で丸10年4ケ月…「十年一昔」を超えた。

 

 

 

 

(写真は東日本大震災で瓦礫の荒野と化したまち。すっくと立つ地蔵尊のまなざしを私は記憶の奥に刻み続けたいと思う=2011年3月、岩手県大槌町で)

 

 


2021.07.11:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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