「“出馬”宣言」余話…ガンバレコ−ル、そして…:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ
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「“出馬”宣言」余話…ガンバレコ−ル、そして…
2022.05.07:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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「素晴らしき怒りの愛に花巻の輝きを見る思いです。この街に隠れている光はまだたくさん衣をかぶっていることでしょう。咳をすれば眼を覚ます」―。東和町田瀬在住の造形美術家、菅沼緑さん(73)からこんなガンバレコ−ルが届いた。4月27日付当ブログ(尾崎放哉の「咳をしても一人」に仮託した一文)に対する励ましのメ−ルで、「アラエイ(80代)の気概」のタイトルが付けられていた。嬉しくなって、会いに出かけた。今月3〜4の両日、同町で開催された「花巻・土澤ア−トクラフトフェア」で、緑(ろく)さんはストリ−トピアノの担当をしていた。“文化談議”に花が咲いた。
緑さんは幼少時、東京・池袋周辺にあった「アトリエ村」(貸し住居付きアトリエ)で育った。通称「池袋モンパルナス」と呼ばれた芸術村で、小熊秀雄や熊谷守一など著名な作家が出入りした。「俺たちはパルテノンと言っていた。長屋は15畳ほどのアトリエと4畳半の居間、それに半畳ばかりの台所だけで、水道は共同。おやじの話だと、戦時中でもジャズレコ−ドのパ−ティが開かれるなど別世界だったという。20〜30軒はあったかなぁ」…。緑さんは目を細めるようにして、当時の思い出を話した。当地に移住したのは約20年前。今では全国的に知られる「街かど美術館」の立ち上げにもかかわり、パルテノン時代の経験が生かされた。「年なんか関係ないぞ。イ−ハト−ブの将来はお前さんにかかっている」と緑さんに肩をたたかれた。
コロナ禍で3年ぶりの開催となったクラフトフェアはごった返す人波にあふれていた。途次、旧知の地元の女性(80代)とバッタリ出会った。世間話に興じたまでは良かったが、選挙のことに触れた途端、「若い人に道を譲るのが年寄りの役割。花巻の恥をさらすのは止めてくれ」とものすごい形相で一喝された。そういえば、“出馬”宣言(4月1日付当ブログ参照)をしたその日のうちに「みっともないから、おやめなさい」という”忠告“がメ−ルで寄せられたことを思い出した。生前、賢治が石を投げつけられたというこの町の排他性を目の当たりにした気持ちになり、ざわッとした。同時に俄然、やる気がわいてきた。そうしたら、また励ましの言葉が飛んできた。
「“好奇心を失った時、人は老いる”と有りますが、チャレンジ精神は好奇心より高いレベルと思います。むしろ情熱を失わずに在ることが、精神の若さのバロメ−タ−と実感します。“変えねばならぬの意欲”は、真に青年の飢餓感そのものでしょう」―。身に余る言葉に逆にこっちがかしこまってしまった。「『若気の至り』も『年寄りの冷や水』も社会の成長のためにはどちらも必要だと考えます」と返信し、心の平静を保った。千々に乱れるそんなある日、「人を殺すのは『災害』ではない。いつだって『忘却』なのだ」というキャッチコピ−の本を久しぶりに一気読みした。
現役の朝日新聞記者、三浦英之さんの『災害特派員』(朝日新聞出版)。記者経験のある私自身に照らせば、新聞記事に個人の喜怒哀楽を文章表現するのはご法度。ところが、本書は滂沱(ぼうだ)の涙のオンパレ−ドである。個人的な震災取材(東日本大震災)の体験を綴った「手記」ゆえにそれが許されたのである。「新しい命」という一節がある。
結婚したばかりの夫が津波で亡くなった。妻のお腹の中には新しい命が宿っていた。夫の母も両親と子どもを亡くした。婚姻届はその日3月11日に出す予定だったが、それを果たすことはできなかった。書類が夫の懐にしのばせたあったからである。三浦記者は出産の場の写真撮影を願い出て、許される。遺族たちとの間に築かれたそれまでの信頼関係がそれを可能とした。その場面の描写に私も大声を上げてもらい泣きしてしまった。
…余りにも凄絶な出産風景だった。エリカ(妻)は新婚七日で無念のうちに亡くなった新郎の遺影を見つめながら、この世に新しい命を産み落としたのだ。まるで「死」と「生」を交換するように。江利子(夫の母親)とエリカ。血のつながっていない二人の女性が今、この小さな命を通じて一つの新しい「家族」になろうとしている。思わずファインダ−が涙で曇った。私は必死でそれをカメラで隠そうとしたが、わずかに江利子に見つかってしまった。「おっ、カメラマン、また泣いているの?」。江利子は乳児を優しく抱きながら、「私、嬉しいわあ」と誰かに聞かせるように言った…
私も市議時代にあの大震災に遭遇した。支援活動に没頭した当時、果たしてこの目に涙のしずくはあったのかどうか。「アラエイの気概」(緑さん)に背中を押されながら、私は人生最後の挑戦に挑もうと思う。「老残」がなお”青雲の志”を抱いたとしても、まさか罰(ばち)が当たることはあるまい。
(写真は三浦さんの新著の表紙)