「喪失」という物語…“大江”ショックその後〜そして、袴田さんと大谷選手の”あきらめない”精神!?:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ
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「喪失」という物語…“大江”ショックその後〜そして、袴田さんと大谷選手の”あきらめない”精神!?
2023.03.20:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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青春のど真ん中で“大江文学”に遭遇した世代の一人である私はその突然の死(享年88歳)に、これまで経験したことのない「喪失感」を覚えた。5歳年上の大江健三郎さんが『飼育』(1958年、芥川賞受賞)で衝撃デビュ−した時、私は18歳だった。同じ年に刊行された『芽むしり仔(こ)撃ち』という奇妙なタイトルに魅かれて、とりこになった。それにしても、なぜだったのか。いずれも戦争を題材にした作品で、後者は太平洋戦争末期、感化院から山奥の村に強制疎開させられた少年たちの間に疫病が集団発生。村の入り口は封鎖され、少年たちはそこに取り残される…。まるで、コロナ禍を彷彿(ほうふつ)させる設定である。
ひょっとしたら、“異”を排除する「社会的疎外」ということに敏感に反応したのかもしれない。私が4歳の時、父親は旧満州(中国東北部)に出征し、そのまま帰らぬ人となった。幼少時から青春時代までずっと、つきまとっていたある種の疎外の気持ちが作品の内容と重なったのだろうか。当時、私たち男兄弟3人と母親は父親が勤めていた盛岡の会社の社宅に住んでいた。敗戦からわずか4か月後、父親はシベリアの捕虜収容所で栄養失調死した。社宅を出ることになった私たち一家は花巻にある実家を頼って、転居した。「父(てて)無し子」という陰口がついて回るようになった。
大江さんの訃報が遠い記憶を呼び戻したようだった。父親を戦地に見送った後、私は寂しさを紛らわせるため、社宅の近くの小学校の校庭にあった巨木たちを友だちにした。手を滑らせながら、てっぺんを目指した。背後には父親がスキ−に連れて行ってくれた岩山がそびえ、間近には天満宮の社(やしろ)が見えた。「通りゃんせ 通りゃんせ/ここはどこの 細道じゃ/天神さまの 細道じゃ」…。母親は夫の帰還を祈りながら、毎日のように神社通いを続けた。幼子の手を引きながら、いまは亡き母親はこの童謡を口ずさむのが常だった。
喪失感が癒(い)えない今月中旬、憑(つ)かれたような気持で盛岡に向かった。あの巨木たちと再会したいと思ったのだった。社宅跡には新築の家が建ち並び、当時の面影はなかったが、まるでトグロをまいたような根を周囲にはわせ、その巨木たちは同じ姿でそこに立っていた。小学低学年の児童たちが競うように木登りに夢中になっていた。ハッとした。幼少時の自分がそこにいるではないか。錯覚にちがいないのに、そうではないと実感した。80年近くも前の記憶の光景が目の前に、そのまんま広がっていた。ホッとした。“再生”のシグナルをそこに感じたからかもしれない。
「あんたは何となく、大江さんに似ているよね」―。訃報のあと、数人の知人からそんなことを言われた。実際、大江さんに間違えられたこともあるし、内心では自分でもそう思っていた。「大作家の薫陶(くんとう)を受けているうちに、顔かたちまで似てきたのか」とまんざらでもない思いで、鏡をのぞいてみる日々…。「そうか、いい年こいて反逆心が衰えないのは、大江さん譲りだったのかもしれないな」と妙に納得しているうちに「喪失感」もだんだん、薄らいできた。4年前、妻と死別したやもめ暮らしはもうちょっとだけ、生き延びたいと思っている。
(写真は昔と変わらぬ巨木によじ登る児童たち。私はその光景に「自分」の再生を見た思いがした=3月15日午後、盛岡市天神町で)
《追記ー1》〜あきらめてはいけない。「袴田」事件で特別抗告を断念
57年前の1966年に静岡県のみそ製造会社の専務一家4人が殺害された事件で、東京高検は20日、強盗殺人罪などで死刑が確定した袴田巌さん(87)=釈放=の再審開始を認めた13日の東京高裁決定について、最高裁への特別抗告を断念すると発表した。
再審開始が確定することになり、袴田さんは今後、静岡地裁で開かれる再審公判で無罪となる公算が大きい。死刑囚が再審で無罪になるのは、80年代の免田、財田川(さいたがわ)、松山、島田の4事件以来、30年以上ぶり5例目。特別抗告は高裁の判断に憲法違反や判例違反がある場合に限られ、検察側は「特別抗告できる理由がない」と判断したとみられる。特別抗告の期限が20日だった(20日付「朝日新聞」電子版、要旨)
<注>〜「特別抗告断念」を伝えるNHKニュースを見ながら、私はその光景に心が震えた。検察側の抗告断念に感謝の意を口にするのは実は弁護士にとっては”禁句”のはずである。にもかかわらず、その喜びを涙まじりに言葉にするその姿に私は司法の良心の一端を垣間見たような気がする。袴田さんと弁護士は「決してあきらめてはならない」というメッセージを国民に送ったのだ、とー
《追記―2》〜「カモン!カモン!カモン!」…大谷翔平の“魂の雄叫び”
「もう本当に何回かチ−ム全体で折れかけていたと思うんですけど、絶対に諦めないという気持ちで、最後までつないでああいう結果になった。本当にみんな素晴らしかった」―WBCの対メキシコ戦最終回(21日)、奇跡の逆転劇のきっかけを作り、最終の対米国戦(22日)で世界王者のMVPに輝いた大谷選手の雄叫び。そして、決勝戦を前にした円陣では後世に残る名言も…「憧れるのはやめましょう。(米国には)野球をやっていれば、誰しもが聞いたことがあるような選手たちがいるけど、憧れてしまったら越えられない。勝つことだけを考えていきましょう」。母校の花巻東高校がある「イ−ハト−ブはなまき」(賢治の理想郷)もこの「あきらめない」精神と決然たる覚悟に学ばなければなるまい。いまや、崖っぷちに立たされた理想郷の”再生”のためにも…