「四十九日」と魂の行方:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ
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「そんなに急がなくたっていいんじゃないの」―。妻が旅立って早くも「四十九日」(9月15日)を迎えた。仏教ではこの日、魂があの世に向かう日だとされている。遺影に向かって思わず、こんなことを口走ったのは『呼び覚まされる「霊性の震災学」』なる本を読みかけていたせいかもしれない。東北学院大学「震災の記録」プロジェクト(金菱清ゼミ=災害社会学)の編集で、7人の学生が卒業論文としてまとめた内容になっている。読み進むうちに、魂に立ち去られることの寂しさがにわかに募ってきたのである。同書には“幽霊”たちとの出会いが例えば、こんな風に紹介されている。東日本大震災で娘さんを亡くした男性のタクシ−ドライバ−(56)の体験談である。
「震災から3ヵ月位くらいたったある日の深夜、石巻駅周辺で乗客の乗車を待っていると、初夏にもかかわらずファ−のついたコ−トを着た30代くらいの女性が乗車してきたという。目的地を尋ねると、『南浜まで』と返答。不審に思い、『あそこはもうほとんど更地ですけど構いませんか?どうして南浜まで?コ−トは暑くないですか?』と尋ねたところ、『私は死んだのですか?』―震えた声で応えてきたため、驚いたドライバ−が『えっ』とミラ−から後部座席に目をやると、そこには誰も座っていなかった」―。この男性は学生たちにこう語ったという。「東日本大震災でたくさんの人が亡くなったじゃない?この世に未練がある人だっていて当然だもの。あれ(乗客)はきっと、そう(幽霊)だったんだろうろうな〜」
酷暑に続いた台風被害や北海道大地震…。真夜中に屋根を叩く雨風やコツコツとドアをノックするような音にハッと、目を覚ますことがたびたびあった。以前はこんなことはなかったが、「これが霊性というものだと言われれば、そうなのかもしれない」と思うようになった。当ブログ「『喪失』という物語」(9月4日付)に登場する被災者の白銀照男さん(69)はあの大震災以来、”浮かばれない魂“との交信を続けている。いまも行方不明の母親と妻、それに愛娘の3人が夢枕に現れるのはしょっちゅうで、「あの時は浦島太郎になったような気持ちだった」とこんな話をしてくれたことがあった。
「避難所に戻る途中、がれきの陰から一匹のカメが現われ、車の前を横切ろうとした。とっさにブレ−キをかけて捕まえ、水槽で飼うことにした。カメは長寿のシンボル。3人がどこかで生きているって…。カメの背中に乗って、竜宮城に連れて行ってもらい、3人に再会できるのではないかって…」―。カメの出現にも驚かされたが、よもや浦島太郎にまで話が及ぶとは思ってもみなかった。妻を亡くした今、白銀さんのあの時の真剣なまなざしが脳裏によみがえってくる。「このことこそが、霊性のなせるわざなのかもしれない」ーと。学生たちは幽霊(霊性)たちとの遭遇を以下のように総括している。
「津波や原発によって文化の虚構性が暴かれた社会において、一足飛びに天に向かう動きに飛躍するのではなく、眼の高さを起点とする天と地の間の往復運動によって、身体性を伴う言語以前の、コミュニケ−ションの場を設定しうる可能性が示される。生者と死者が呼び合い、交換し、現世と他界が共存する両義性の世界が、すなわち“霊性”である」(同書)。昨年2月、ノンフィクション作家の奥野修司さんが「3・11後の霊体験」をルポした際のタイトルも『魂でもいいから、そばにいて』ーだった。
若い感性の到達点の深みに今さらながら、驚愕(きょうがく)させられる。そして、私は遺影に向かい直して、ひとりつぶやく。「そう、急がなくてもいいんだよ」―
(写真はカメの出現にびっくりしたのは当の白銀さん自身だった=2011年6月、岩手県大槌町で)