花巻版「歴史秘話ヒストリア」ーその1(「新花巻駅」誕生秘史):はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ
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花巻版「歴史秘話ヒストリア」ーその1(「新花巻駅」誕生秘史)
2019.03.15:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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韓国映画「朴烈(パクヨル)/植民地からのアナキスト」(2017年、イ・ジュンイク監督)を改題した日本語版「金子文子と朴烈」が日本に上陸。折しも「3・1」独立運動100周年(2月28日付当ブログ)と重なったこともあり、注目の輪が広がっている。1923(大正12)年9月3日、関東大震災の3日後に朝鮮人アナ−キストの朴烈と内縁の妻、金子文子が大逆罪容疑で逮捕された。3年後、文子は恩赦を拒否して獄中で縊死(いし)した。23歳の若さだった。映画のラストショットに使われているのが、ここに掲げた写真である。実は今回の当ブログの主題はこの映画ではなく、“怪写真”事件と呼ばれた、上掲写真にまつわるエピソ−ドについてである。
二人が戯れているようなこのツ−ショットは東京・市ヶ谷刑務所に服役中に撮影されたとされる。何者かによって外部に持ち出され、野党の立憲政友会が政府批判を展開するなど政界を巻き込む一大スキャンダルに発展した。松本清張の『昭和史発掘1』の中にこんな記述がある。「朴烈の隣の房にいた石黒鋭一郎という者が高田保馬著『社会学原理』の中にはさみこんで、(保釈に際し、私物を持ち帰る)宅下げしたもので…」―。ちなみに、高田(1883−1972年)は当時を代表する社会・経済学者だった。一方、無政府主義者として社会運動に関わり、その世界では名の知れた存在だった「石黒」は先の戦争末期、中央の舞台から忽然と姿を消した。
花巻温泉からさらに奥まった谷あいにホロホロ鳥を飼育・販売する「石黒農場」がある。この創業者こそがあの“怪写真”を房外に持ち出したその人である。長野県出身の石黒鋭一郎は戦後、縁あって当地花巻に疎開し、この農場を開いた。戦後復興の波に乗った石黒は東京・有楽町で材木商を開業、さらにフグやホロホロ鳥料理の専門料亭「大雅」を東京のど真ん中にオ−プンさせるなど文字通り、華麗なる転身をとげた。いまはもう、そのビルも解体されてしまったが、一時期、在京花巻人会の事務所が居候していたこともある。その数奇な人生を知りたいと思い、ある日、長男の晋治郎さん(81)を訪ねたことがあった。意外な話を聞か聞かせてくれた。
「激動の過去は余り口にしなかった。しかし、新幹線を花巻に停車させるため、当時、鉄道建設審議会長を兼務していた鈴木善幸・自民党総務会長(元首相)に密かに働きかけるなど陰で動いていた。表に出ることはなかったが、かつての人脈を生かして地元のためには尽くしていたようだ」―。新幹線開通の陰の功労者が“怪写真”事件の首謀者だったことにある種の感慨を覚えた。もうひとり、忘れてはならない人物がいる。その名は「横川省三」(1865−1904年)。映画「二百三高地」(1980年)の冒頭で、横川ら二人がロシア軍によって処刑されるシ−ンを記憶している人も多いかもしれない。
盛岡藩士の子に生まれ、のちに現花巻市東和町の横川家の婿養子に。自由民権運動に投じ、加波山事件に連座して禁錮刑になった。明治23年に東京朝日新聞社に入社。明治三陸大津波(1896年=明治29年)の際はいち早く現地入りし、生々しいルポを発信した。日清戦争に記者として従軍した後、日露戦争前に軍事探偵(スパイ)として諜報活動に従事。日露戦争(明治37年)勃発後、沖禎介らとともに満洲に入り、鉄道爆破を図ったがロシア軍に捕らえられ、ハルビン郊外で銃殺…。日本の裏面史を生きたという点では石黒鋭一郎と瓜二つである。
「ネクタイを締めた百姓一揆」(河野ジベ太監督)というタイトルの映画が3年前に公開された。いったんは「花巻停車」を見送られた、東北新幹線の新花巻駅誘致に立ち上がった地元民たちの連帯を描いた映画である。「昭和という、激動の時代。当時の人々のインフラ整備・広く街づくりにかける熱い思いは、当該駅設置のみならず、現代においても通じる、あるいはむしろ輝き増して心に響く内容だと考えております」と謳い文句にある。開業医だった渡辺勤さんは当時の動きを『新花巻駅物語り―甚之助と万之助』(昭和60年)という冊子にまとめている。甚之助とは「一揆の頭領」…小原甚之助、万之助とは「住民の総代」…開業時の市長、藤田万之助(いずれも故人)のことである。映画の台本はこの本に拠(よ)っている。
「俺達の隣町の横川省三を知らないか。日露戦争の時、シベリヤ鉄道(正しくは東清鉄道)を爆破した男だ。あなたがそう云うなら、我われにも考えがある」、「なにしたど、もう一度云って見ろ。岩手135万県民を馬鹿にする気か」―。甚之助が国鉄(当時)の常務理事のネクタイをつかんで詰め寄る場面が文中に出てくる。映画にとってはこのセリフこそがまさに肝(きも)である。ところが、映画にこのシ−ンは登場しない。「金子文子と朴烈」に深みを持たせているのが、石黒の手になるあの“怪写真”なのとは段違いである。この映画が何となく、のっぺらぼうに見えるのはそのせいかもしれない。
全国初の請願駅―「新花巻」の誕生劇には実は「石黒鋭一郎」と「横川省三」という傑出した黒幕がいたのだった。私は花巻版「歴史秘話ヒストリア」を思い浮かべながら、何となく愉快な気分になった。
(写真は石黒が秘かに外に持ち出した金子文子と朴烈のツ−ショット写真=インタ−ネット上に公開の写真から)