映画「新聞記者」…今昔物語:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ
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映画「新聞記者」…今昔物語
2019.07.03:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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「この一件については、あまり深入りしない方が身のためですよ」―。スクリ−ンの向こう側から、妙にくぐもった陰湿な声が聞こえてくるような錯覚に陥った。いま評判の映画「新聞記者」(藤井道人監督:脚本、シム・ウンギョン:松坂桃李同時主演)を見ていた時である。その声を電話口で聞いたのはもう、40年近くも前のことである。当時、私は政治資金などを通じて、政界に隠然たる影響力を持つある黒幕を追っていた。あらゆる伝手(つて)を使ってやっと面会にこぎつけた直後から、帰宅を見計らうようにベルが鳴るようになった。最初は何となく不気味だったが、やがて電話の主が「内調」(内閣情報調査室)だということが判明した。
この国に新聞記者は必要なのか―。映画「新聞記者」は国家権力の闇に迫ろうとする女性記者・吉岡エリカ(シム)と、政権に不都合なニュ−スをコントロ−ル(情報操作)する任務を与えられた、内調勤務のエリ−ト官僚・杉原拓海(松坂)との壮絶な闘いと葛藤を描いている。モリカケ疑惑や沖縄の辺野古新基地建設などをめぐる官邸記者会見で鋭い質問を浴びせ続ける、東京新聞記者・望月衣塑子さんの同名の著書が原作となっている。「『リアル』を撃ち抜く衝撃の『フィクション』/現代社会にリンクする社会派エンタテインメント」とパンフレットにはある。
ある夜、東都新聞社に「医療系大学の新設」に関する極秘公文書が匿名FAXで届けられる。表紙には謎めいた羊の絵が描かれている。内部によるリ−クなのか、あるいは誤報を誘発するための罠か?内閣官房VS女性記者という構図は否応なしに「権力とメディア」、「組織と個人」という現在進行形のせめぎ合いにオ−バ−ラップしていく。外務省時代の上司がビルの屋上から投身自殺したことによって、杉原は内閣に対する不信感を募らせていく。そして、上司の通夜が行われた日、吉岡と杉原は偶然言葉を交わすことになる。2人の人生が交差する先に、官邸が強引に進めようとする驚愕(きょうがく)の計画が浮かび上がってくる……。まさしく「いま現在」を照射する緊迫の場面である。
「集団の中にいると忖度(そんたく)してみんなの空気を読んで、自分の信念を曲げていくこともある。いまの日本の特に僕たちの世代はそういうことがめちゃめちゃうまいと思っていますが、それを打破したかった。個人個人が自分たちの人生をどう変えていくかということを真剣に考えてほしいと思います」(6月28日付「週刊金曜日」)―。藤井監督はインタビュ−でこう答えている。臨場感のある場面展開に引き込まれながら、私は別の感慨にふけっていた。「疑似体験を持つ自分にとっては、内調に嗅ぎつけられることこそが新聞記者としての誇りだった。時として、そのネタは政権を揺るがす事態に発展する可能性を秘めていた。会社全体としても決然と権力に立ち向かっていた。それが今では、マスメディア自体が権力に迎合しているのではないのか」―。
新聞記者の醍醐味(だいごみ)は何といってもルポルタ−ジュの執筆である。いろんな現場に身を置き、そこに住む人々の声にただひたすら耳を傾け、風土のたたずまいに包まれる。やがて、七転八倒する自分が立ち現れる。ペンがひとりでに動き出す。真剣勝負の一瞬である。その「ルポ」欄が最近の新聞からほとんど姿を消してしまった。わが古巣も例外ではない。私は物心がついて以来、続けてきた「朝日新聞」の購読を、この7月から止めた。「世界の報道の自由度ランキング」(国境なき記者団)によると、日本は2016年から2年連続で72位とG7各国の中で最下位に転落した。この映画はこうした状況の中で、産声をあげた。エグゼクティブプロデューサーの河村光庸さんはパンフなどで、こう述べている。
「民主主義を踏みにじるような官邸の横暴、忖度に走る官僚たち、それを平然と見過ごす一部を除くテレビの報道メディア。最後の砦である新聞メディアでさえ、現政権の分断政策が功を奏し、『権力の監視役』たる役割が薄まっている。集団の同調圧力の中で、今後個人としてどう生きていくのかという映画を目指した」
(写真は映画「新聞記者」のポスタ−から=インタ−ネット上に公開の資料から)