沖縄から(10―完)…旅の終わりに:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ
はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ |
▼この記事へのコメントはこちら
|
ゲストさんようこそ
合計 40人
■記事数
公開 3,360件
限定公開 0件 合計 3,360件 ■アクセス数
今日 6,742件
昨日 12,000件 合計 18,151,115件 |
はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ |
▼この記事へのコメントはこちら
|
ゲストさんようこそ
合計 40人
■記事数
公開 3,360件
限定公開 0件 合計 3,360件 ■アクセス数
今日 6,742件
昨日 12,000件 合計 18,151,115件 |
今回の「旅の終わり」はまさに突然、訪れたのだった。1月10日未明の午前2時ごろ、以前から私の沖縄訪問の際に“杖”となり、“足”となってくれていたUさんが同宿したマンスリ−マンションの浴槽で倒れているのを発見した。4年前に千葉県から沖縄に移住し、私のような不案内な旅行者を観光地ではない、たとえば沖縄戦の戦跡や米軍基地の現状を肌で知ることができる現場へと解説付きで連れて行ってくれた。亡き妻をこうした場所に案内してくれたのもこの人だった。本土から訪れる人たちを乗せる「辺野古バス」の運行の手助けをしたり、かと思えば、反対派の拠点テントの中で大鍋にカレ−を仕込んでいる姿も目撃している。
幸い、一命は取り留めたものの、いまも那覇に近い病院で治療を続けている。沖縄と本土をつなぐ最前線にはUさんのように、文字通り“架け橋”に徹する人たちがいる。Uさんとの出会いがなければ、沖縄の記憶を辿りたいという私の数度にわたる「沖縄訪問」も実現していなかったかもしれない。まだ、58歳。一進一退の容態を気遣いつつ、同行者としての責任を感じる日々……
Uさんの身の上に起こった突然のアクシデントが30年も前の、もうひとつの「旅の終わり」の記憶を呼び覚ましたようだった。北海道勤務を終えて東京本社に転勤する際、私は当時流行(はやって)いた演歌「旅の終わりに」(冠二郎)の一節を挨拶状の冒頭にしたためた。赤面するようなキザな文章だが、現代ニッポンを照射しているという意味ではそれほど的外れではないような気もする。恥のかき捨てついでにその要旨を以下に―
●「春にそむいて/世間にすねて/ひとり行くのも/男のこころ…」―。吹雪が舞う北の街で、この唄を口ずさむのが好きでした。報道部有志が送別会を催してくれた翌日、残雪の山並みを眼下に見ながら、五木寛之の同じ題名の文庫本を読みふけっていました。『旅の終わりに』。津軽海峡をひとまたぎした飛行機はあっという間に「トウキョウ」に到着していました。この世界に足を踏み入れて25年。水俣病や被差別部落、そして筑豊…。中央から切り捨てられていく姿を長い間、見続けました。途中、少し寄り道をして北海道へ。ここでもまた、炭鉱閉山や農漁業の衰退、和人の侵略にさらされ続けるアイヌ民族の苦悩を知りました。そしていま、25年ぶりにトウキョウの地に立っています。
●地下鉄の中で分厚い本を手にした若い女性を見かけました。題名をのぞいて、ぎょっとしました。『常勝思考』。捨て石の山が地方に築かれている間に、中央は勝つことだけに熱中していたのでした。言葉の片鱗として「上昇志向」という程度の記憶しかない浦島太郎にとっては驚くべき出来事でした。「はじまり」があるから「終わり」もあります。南と北の「目」を大事にしたいと思っています(1990年4月の転勤挨拶状から)
沖縄訪問の際、避けて通ることが許されない“関所”がある。「風貌からして叛逆老人。白いあご髭を長く垂らして、手を振って熱弁をふるう」(鎌田慧著『叛逆老人は死なず』)と紹介されている彫刻家の金城実さん(81)である。実は最初に金城さんに引き合わせてくれたのもUさんだった。「関所に立ち寄ってから、田舎に戻ります。早く元気になってまた、水先案内になってください」―。病室に見舞うとUさんは混濁する意識の中で、かすかにうなずいたようだった。うしろ髪がひかれる思いで、病院をあとにした。
「うしろに回ってよく見てみろ」と金城さんがうす暗いアトリエの中で言った。最新作の木彫の背後に「Home−Less」(ホ−ムレス)と刻んであった。「本土に打ち捨てられた沖縄の現実を描きたかったんだよ」と金城さん。「叛逆老人の全国ネットワ−クっていうのはどうですか。南と北から“中央”をにらみ返すんですよ。オジィこそがその代表格にぴったりだと思うんです」と誘惑すると、まんざらでもないような表情で自慢のヒゲをなでまわした。この報告を閉じるに当たって、記録作家・故上野英信さんの“遺言状”(1月23日付当ブログ)について、「筑豊」を「沖縄」に置き換えた浅慮(せんりょ)を反省したい。前者の捨て石の上にいまさらに「後者」の捨て石が築かれようとしているという意味では、両者は並立でなければならない。そして、さらにつけ加えるとすれば、北のアイヌ民族の受難も…
筑豊よ、沖縄よ、アイヌよ
日本を根底から
変革する、エネルギ−の
ルツボであれ
火床であれ
自前の「背もたれ」を探し求める今回の旅は道半ばで終わった。しかし、この「終わりなき旅」はUさんに背中を押されるようにして、ふたたび再開されると私は確信している。二人三脚の旅を支えてくれたUさんへの心からの感謝と一日も早いカムバックを祈りつつ……
(写真は流木などを拾い集めて、ノミを振るう金城さん。”叛逆老人”の作品にはなぜか「鬼」を題材にしたものが多い=インターネット上に公開された写真より)