東日本大震災から9年…一体、何が変わったのか?いや、何も変っていない!いやいや、さらなる闇の彼方へ!!〜「新図書館」構想は事実上の撤回へ:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ

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東日本大震災から9年…一体、何が変わったのか?いや、何も変っていない!いやいや、さらなる闇の彼方へ!!〜「新図書館」構想は事実上の撤回へ


 

 

 「質疑に入る前に、ひと言だけお祝いの言葉を申し述べたいと思います。委員長は本日をもって62歳の誕生日ということで、おめでとうございました。それで、実は不肖(ふしょう)私も本日をもって71歳ということで、お互いに健康で議場でまみえることができるというのは、ひとえに神のご加護と感謝を申し上げたいと思います」―。ちょうど、9年前のこの日(2011年3月11日)、私はちょっぴり気取った調子で、予算特別委員会の質問をこう切り出した。藤原晶幸委員長(現副議長)に「誕生日が同じ」というよしみで冒頭での質問を申し出た結果、快く受け入れてもらったのである。約4時間余りがたった午後2時46分、議場全体が大きく揺れ、一部の壁がくずれ落ちた。議席の下にもぐり込んで身を守った。「東日本大震災」はこんな光景の中で発生したのだった。

 

 「(議会側に)図書館に関わる特別委員会が設置されることを受け、一般会計に計上していた関連予算(4,337万円)を削除し、改めて修正案を提出したい」―。あの日から9年が経過したこの日、神妙な表情の上田東一市長は前代未聞の「予算案」撤回の理由をこう説明した。「場所や中身を含めて、再検討することか」と問われた上田市長は「いったん、今回の構想案を取り下げ、議会とのコンセンサスを探りたい」と事実上、「新図書館」構想を白紙撤回することを認めた。全議員がこれを承認した。本来なら、内閣総辞職にも匹敵する事態である。しかし、“迷走”に至った経緯について、上田市長の口からその責任に言及する発言は最後までなかった。この人ならではの”開き直り”なのかもしれない。

 

 

 「あの日も予算委の真っ最中だったな。でもあれは防ぎようのない自然災害。失政による今回の“人災”とはまるで違う」…とボソボソと独り言(ご)ちながら、私は9年前の「ドタバタ」劇を昨日のことのように思い出していた。

 

 あの大震災は私が市議に初当選した約8ケ月後に起きた。当然のことながら、予算委は急きょ散会となり、議員たちは救援のために被災地の現場へと散った。私自身も仲間に声をかけ、支援組織「ゆいっこ花巻」を立ち上げ、大槌町など甚大な被害を出した沿岸被災地を行き来した。その一方で、喫緊(きっきん)の支援策を論議するために開かれたその後の臨時議会や(2011年)6月定例会では信じられない出来事が続発していた。全国から寄せられた義援金を法律を無視して市の一般会計に計上した「義援金流用」疑惑、議会傍聴に来ていた内陸避難者に向けられた、議員による暴言(「さっさと帰れ」発言)、この問題を追及した私が逆に「議会の権威を損ねた」という理由で、処分を受けるという異常事態…。私はこの経緯を『イ−ハト−ブ騒動記』と題する本にまとめた。

 

 満80歳の誕生日を迎えた今日この日の早朝、私は北上川周辺をぶらつく恒例の散歩に出かけた。コ−スの途中には宮沢賢治の「雨ニモマケズ」詩碑が建っている。「東ニ病気ノコドモアレバ/行ッテ看病シテヤリ/西ニツカレタ母アレバ/行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ/南ニ死ニサウナ人アレバ/行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ/北ニケンクヮヤソショウガアレバ/ツマラナイカラヤメロトイヒ」―。彫刻家、高村光太郎の筆によるおなじみの詩句が雲間から顔を出した陽光に光っていた。9年という時空の流れが走馬灯のように目の前を去来した。「このまちは賢治の精神から随分と遠く離れた所に来てしまったな」―。私は拙著の「はじめに」に当時、次のように記した。

 

 「『あの日』から5年がたった。戦後日本の行く末を決定づけるとその時は誰しもが考えていたはずの『東日本大震災』―まるであの災厄が夢まぼろしでもあったかのように、記憶の風化がいま、加速しつつある。『3・11』以降、この国はどう変わったのか。いや、変わらなかったのか。この物語は震災直後、詩人で童話作家の宮沢賢治の理想郷『イ−ハト−ブ』の足元で繰り広げられた、見るも無残は光景を当事者の立場で再現する内容になっている。…賢治は自作の詩『雨ニモマケズ』の中で受難者に『寄り添う』ことの大切を『行ッテ』と直截(ちょくせつ)に訴えている。『イ−ハト−ブ騒動記』の中で暴かれた光景の数々はまさにこの精神の対極に位置していた」―

 

 予算案の撤回に揺れるインタ−ネット中継による議場の光景をぼんやりと眺めながら、私はその「日時」の一致に一瞬、ギクリとした。「義援金流用」疑惑の発端になったのも「3・11」のこの日だった。そしていま、目の前では貴重な税金の使途を決める予算審議が紛糾を極めようとしている。懸案が山積みの「新図書館」構想、コロナ騒動、降ってわいたような行政トップによるパワハラ疑惑…。『「上田」残酷物語』はいままさに進行中である。世間では東日本大震災の教訓になぞらえて、「コロナ危機」によるライフスタイルの見直しが一部でささやかれている。 

 

 「この9年間に積み上げられた残骸の山を見れば、それは虚しい願望だよな」と妙に力(りき)んでいる自分に苦笑する。そろそろ、騒動記の続編を書き始めなければなるまいか。あの時もいまこの時も「なにひとつ変わっていない」―という書き出しで…。予算特別委の冒頭、照井省三委員長が「震災発生時刻に合わせて、犠牲者の霊に全員で黙とうを捧げたい」と宣言した。議場に参集した関係者はどんな気持ちで、「あの日」と「この日」に思いを致したのだろうか―

 

 

 

 

 

(写真は賢治の「行ッテ」精神が刻まれた詩碑。このメッセ−ジとは真逆な上田「ワンマン」市政がまかり通っている。=3月11日朝、花巻市桜町4丁目で)

 

 

 

《追記》〜夢まぼろしの“お化け屋敷”

 

 本来ならば、喧々諤々(けんけんがくがく)の論戦が予想された予算特別委員会(照井省三委員長)だったが、当局側がいったん提案した図書館関連予算案を突然、撤回したため(3月9日付当ブログ参照)、12日開催の同特別委は修正・再提出された「令和2年度一般会計予算案」を全会一致の賛成で可決した。今回の「新図書館」構想が公表されて1ケ月余り―この間の“図書館”騒動は一体、何だったのか。

 

 この日、撤回に至った責任や今後のスケジュ−ルの変更などについて、上田東一市長に問いただす質問は一切なかった。「予算に計上されていな案件については答弁を差し控えたい」という上田市長の”術中”にまんまとはまった格好だ。今後の展開は図書館問題に特化した「特別委員会」に移されることになるが、こんなことでは先が思いやられる。市民を巻き込んだ図書館フィ−バ−はまるで「なかった」ことのように雲散霧消してしまった。まこと、わが「イ−ハト−ブ」は魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)する(3月6日付当ブログ)“お化け屋敷”に成り果ててしまったようだ。議会側の奮起を待つしかない。

 

 


2020.03.11:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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