「コロナ」黙示録(その1)…大都会に出没した野生動物たち:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ
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大地よ/重たかったか/痛かったか
あなたについて/もっと深く気づいて、敬って
その重さや痛みを/知る術(すべ)を/持つべきであった
多くの民が/あなたの重さや痛みとともに/波に消えて/そして大地にかえっていった
その痛みに今 私たち残された多くの民が/しっかりと気づき/畏敬の念をもって
手をあわす
路上に寝ころぶアシカの群れ、市街地をかっ歩するピュ‐マ、かと思えば、スモッグにくすんでいた山容やビル群の突然の出現…。コロナ禍の影響で110カ国・地域の地球人口の半分以上に及ぶ約45億人の人影が消えた結果、「コロナ」黙示録とでも呼びたくなるような光景が世界のあちこちで見られるようになった。人間によって、その生息域を奪われた野生動物の“逆襲”!?…などとコロナ疲れの頭で考えていたその時、冒頭に掲げた詩文が突然、記憶の底から目を覚ました。旧知のアイヌ詩人で古布絵作家の宇梶静江さん(87)が東日本大震災の8日後に記した「大地よ」と題する詩である。
「それがねぇ、アイヌは震災で命を亡くした人よりも先に大地の方に気持ちが行ってしまうんだね。ある日本人からそう言われたことがあった。何か皮肉を言われているような感じがして…」―。数年前、ふと漏らした言葉を現下のコロナ禍の中で思い出したのである。実は私自身、全世界がコロナ禍と「闘っている」さ中の4月5日付当ブログに「コロナ神との対話」という一文を掲載した。“共生”の大切さを訴えるつもりだったが、撃退すべき相手を「神」呼ばわりすることに対する周囲の目を気にしなかったと言えばやはり、ウソになる。そんな折、宇梶さんの詩に共鳴した哲学者(フランス文学・思想)の鵜飼哲さん(65)の近著に接する機会を得た。たとえば、こんな一節…
「この詩は、災害そのものとどう向き合うのかという根本のところで、今の列島社会で自明視されているある種のヒュ−マニズムの枠を超過しています。アイヌ民族の自然観には、自然現象もすべて『カムイ』(神)であり、ある意味で人間と相互に交渉可能なものだという考え方があります」(『まつろわぬ者たちの祭り―日本型祝賀資本主義批判』)。そう言えば、宇梶さんは詩作の動機について、同書の中でこう語っている。「カムイモシリですね。神様の培われている大地、カムイモシリよ、重たかったか、痛かったかという言葉が出たんです」
鵜飼本の発行日と私のブログ掲載日は同じ4月5日。単なる偶然とはとても思えない不思議な感覚である。私はアイヌ民族の世界観に言及しながら、ブログにこう書きつけている。「地球規模の環境破壊によって、野生生物の生態系が破壊された結果、行き場を失ったウイルスが『宿主』(しゅくしゅ=寄生先)を人間に求めるようになった。地球せましと徘徊するこの神の神出鬼没ぶりを見ていると、それはまさに『コロナカムイ』と呼ぶにふさわしいとさえ思えてくる」―。アイヌ民族にとっての最高神であるクマは「キムンカムイ」(山の神)と呼ばれる。その霊をカムイモシリに送り返す「イオマンテ」(熊送り)の儀式の中にこそ、自然との「共生・共死」の思想が凝縮されている。
南アフリカのクル−ガ−国立公園はロックダウン(都市封鎖)の一貫として、3月25日から閉鎖が続いている。自然保護官のリチャ−ド・ソウリ−さんは巡回中に昼寝しているライオンの群れに遭遇した。ツイッタ−でその写真を投稿したリチャ‐ドさんは「ほとんどのライオンはぐっすり眠っているようで、携帯電話で写真を撮っている間、気にする様子はなかった」と話している。安心しきったように路上に寝そべるライオンたちの姿に見入りながら、不意に思った。「この光景こそがコロナ後を黙示しているのではないか」―と。皮肉なことに、放射能禍に見舞われた福島の避難指示区域がいま、サルやタヌキ、イノシシなど20種以上の野生動物の”楽園”になり、当のその動物たちが放射能まみれになっていることを私たちはとうに忘れている。
コロナ禍以前に書かれた鵜飼本の帯には「私たちは『未来の残酷さ』のただなかにいる」という悪夢を予感させるような言葉も刻まれている。私たち人類はどっちの道を歩もうとしているのだろうか……。人間とはしょせん、己の都合しか考えない存在なのかもしれない。「コロナ」はそのことを教えているのではないのか。
(写真はリチャ−ドさんが撮影したライオンの群れ=南ア・クル−ガ−国立公園内で=インタ−ネット上に公開の写真から)