問われる“危機管理”のあり方…避難発令の先のもうひとつの「リスク」〜実際の避難者は3世帯7人!!??:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ
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問われる“危機管理”のあり方…避難発令の先のもうひとつの「リスク」〜実際の避難者は3世帯7人!!??
2023.07.16:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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「2万8773世帯6万9151人」―。テレビ画面に連続して流されるテロップを見ながら、これはもしかしたら、もうひとつの「リスク」をもたらしかねない過剰反応ではないかと思った。花巻市は今回の大雨災害に際し、15日付で高齢者や体の不自由な人に対して避難を呼びかける「高齢者等避難」(警戒レベル3)を発令。旧花巻市内と旧石鳥谷町内に13か所の指定緊急避難所を開設し、避難を呼びかけた。
「備えあれば、憂いなし」という危機管理の大原則を承知しつつも、私はこのけた外れの避難の呼びかけに一瞬、腰が引けた。同日付の「広報はなまき」によると、6月30日付の同市の人口は3万8825世帯9万1601人。今回の対象者は全人口の実に75%にも及んでいた。そもそも避難者全員を受け入るキャパはあるのか、備蓄は間に合うのか…。こんな素朴な疑問が頭をよぎった。「もうひとつのリスク」への懸念である。石鳥谷町内に住む知人はリハビリを兼ねたウォ−キング中に避難を呼びかける消防自動車と遭遇した。「なにかチグハグな感じがした」。旧花巻市内に住む市民も近くの避難所をのぞいてみたが「職員がぽつねんとしているだけで、避難者の姿は見えなかった」…
「ゼロリスク症候群」という言葉がある。「リスク(危機的状況)はゼロでなければならない」という強迫権念や呪縛(じゅばく)を指す際によく使われ、“過剰反応”を引き起こす要因のひとつとも指摘される。今回はこれに該当するのではないかと思った。ちなみに、県内の他市で避難の呼びかけをしたのは当市だけだった。陣頭指揮を執る上田東一市長は今月初めに開かれた市政懇談会の席上、質問をしようとする市民を制して、こう述べた。「職員も夕飯を食べ、風呂にも入らなければならない」―
「危機管理」の難しさは少しでも判断を間違えれば、一方であらぬ不安をあおりかねないという“両刃の剣”にある。実際、私の元にも遠方の肉親や知人などから安否を気遣う電話が相次いだ。だからこそ、トップリ−ダ−には確たる信念に基づいた「政治決断」が求められるのである。避難所で待機する職員の姿を思い浮かべながら、「ちゃんと、やりましたよ」という“アリバイ市政“に陥ることのないよう切に祈りたい気持ちになった。これではゆっくり、風呂にも入れない現場の職員が余りにも哀れではないか。大雨のピ−クが過ぎたことを受け、同市は16日午後3時13分、避難の呼びかけを解除し避難所も閉鎖した。
本日付(7月15日)の岩手日報によると、実際に避難した人はわずか3世帯7人だった。ある市民は「こんな空手形みたいな避難発令を連発していると、いざ有事の際に正常性バイアス(まだ、安心だとか誤報だと判断ミスをすること)を引き起こしかねない」と懸念している。東日本大震災の教訓がまるで、生かされていないのではないか。仮におのれに火の粉(政治責任)が降りかかることを避けるための保身のパフォーマンスだったとすれば、それはもはや政治家失脚を意味する。そういえば、コロナ対応の際もこの人にはオーバーアクションが目立っていた。それにしてもである。避難を呼びかけた6万9151人のうち、それに応じたのがたったの7人だったとは…。「危機管理」というよりはむしろ、「市政運営」そのものの根幹が問われているとしか言いようがない。”政治不信”とはこんな時にこそ、ひょいと顔を見せることが多い。
目の前に、裸の王様はたまた「経立」(ふったち)に変化(へんげ)したオオカミ少年を見る思いがする。
(写真はテレビ画面に流れるテロップ=15日午後8時すぎ、NHKテレビの「ブラタモリ」の画面から)
《追記》〜自主避難の呼びかけ
花巻市は大雨警報の発令に伴い、18日午前11時26分に災害対策本部を設置。東和地区の浮田、谷内、田瀬の各振興センタ−に指定緊急避難所を開設し、自主避難を呼びかけた。今回は対象者を特定した「高齢者等避難」などの発令ではなく、各人の判断に基づく呼びかけになった。一方、大迫町内川目地区には別に「高齢者等避難」を発令したが、19日午後現在上記4か所に避難した住民は確認されていない。今回のような避難の呼びかけと実際の避難行動とのミスマッチがなぜ、生じたのか―行政側は原点に立ち返ってきちんと、検証すべきであろう。