「3・11」(83歳)から「3・11」(9歳)へのバトンタッチ…記憶の継承ということ:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ
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「3・11」(83歳)から「3・11」(9歳)へのバトンタッチ…記憶の継承ということ
2023.12.18:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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「私は震災3年後の3月11日に生まれました。私の家族もここで亡くなりました。3月11日は家族としては悲しい日。でも、私の誕生日を祝うことでみんなが元気になれる」(17日付「朝日新聞」)―。東日本大震災で祖母(当時60)を失った小学4年生の佐々木智桜(ちさ)さん(9)は東京からの研修生を前にして、快活にこう話しかけた。この記事を目にした私は言い知れない感動に胸が高鳴った。12年前の同じこの日、私は71歳の誕生日を迎えた。そしていま、遺影の中の「おばあちゃん」しか知らない9歳児がまるで、記憶の風化に抗(あらが)うかようにその継承を続けている。
「どんな悲惨な出来事も時と共に忘れられていく。でも、自分は誕生日という特別な日に起きた震災は忘れようがない。それなら、みんながこの日を忘れないようにする活動をしたい」―。あの大震災の2年後、東京都在住の国家公務員、井上能宏さん(当時38)の呼びかけで「311生(うまれ)の会」が産声を挙げた。私もさっそく、仲間入りした。その年の夏、誕生日が同じメンバ−25人は福島原発などのバスツア−を実現させた。当時、井上さんから寄せられたメ−ルを私は大切に保存している。こう書かれている。「そんな縁のある人たちをまず、311人集めたい。そして、この輪が最終的には日本人全体が当事者となるような広がりを見せれば…」
あれから12年―。「寄る年波には勝てないな」と弱音を吐き始めたそんな時に突然、目の前に現れたのが「震災を知らない世代」の“語り部”―智桜さんだった。お母さんに誘われて語り部講習を受け、昨年12月に釜石市が認定する「大震災かまいし伝承者」に認定された。もちろん、震災後生まれの第1号で今年3月、釜石市の伝承施設「いのちをつなぐ未来館」でのパネル展示の解説でデビュ−を果たした。「外国の人にも伝えたい」とこの秋からは英語を習い始めた。
「3・11」の後を襲ったコロナパンデミック、そして福島原発の汚染水の放出、沖縄・南西諸島で進む軍事力の強化、さらにはウクライナやガザでの悲劇…。まるで「何事もなかった」―かのように奈落(ならく)を転げ落ちる光景に戦慄する。見て見ぬふりをするという周囲の「無関心」がこれに拍車を加える。そんな不条理を背にしながらも、智桜さんはケロっとして言う。「伝えるのは私の役目かな」
おばあちゃんは約160人が犠牲になった「指定避難先」の防災センタ−(釜石市鵜住居地区)に避難して命を奪われた。智桜さんはあえて、この悲劇についても触れた。「小学校で習った『てんでんこ』の歌を踊りつきで披露すると、手拍子がわいた」と記事は伝えている。勇気をもらった。絶望するのはまだ早いと叱られたような気持ちになった。そういえば、図書館とは「人類の記憶の貯蔵庫」とも呼ばれる。新花巻図書館の立地をめぐる”迷走劇”の中、この幼い語り部は問わず語りに、そのことの大切さを私たちに教えているのかもしれない。
(写真は来館者の質問に笑顔で答える智桜さん。釜石市の未来館で=12月17日付「朝日新聞」の紙面から)
<署名延長のお知らせ>
新花巻図書館の旧病院跡地への立地を求める署名運動は全国の皆さまのご協力により、4,730筆という予想以上の賛同をいただくことができました。支援者の一人として、感謝申し上げます。行政側の動向が不透明な中、主催団体の「花巻病院跡地に新図書館をつくる署名実行委員会」(代表 瀧成子)は引き続き、全国規模の署名運動を続けることにしました。締め切りは2024(令和6)年1月末必着。送付先は:〒025−0084岩手県花巻市桜町2丁目187−1署名実行委員会宛て。問い合わせ先は:080−1883−7656(向小路まちライブラリー、四戸)、0198―22−7291(おいものせなか)
署名用紙のダウンロードは、こちらから。 「全国署名を全国に広げます!〜これまでの経過説明」はこちらから。署名実行委員会の活動報告などは「おいものブログ」(新田文子さん)の以下のURLからどうぞ。
https://oimonosenaka.com/