「鶴陰」精神が泣いている…新図書館整備基本計画(案)の理念の倒錯ぶりがここにも!!??:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ

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「鶴陰」精神が泣いている…新図書館整備基本計画(案)の理念の倒錯ぶりがここにも!!??


 

 「郷土の歴史と独自性を大切にし、豊かな市民文化を創造する図書館」(基本計画(案)説明書)―。新花巻図書館はその基本方針について、冒頭でこう高らかに謳っている。そして、その理念は「鶴陰碑」(かくいんひ)の中に凝縮されているとして、こんな注釈をつけている。

 

 「花巻に住む武士の間では剣道・弓道・馬術などの武芸が盛んで、その道の奥義を極めた武芸者が数多く現れ、また中国の儒学や史書に深い知識を持った学者、優れた和歌・俳句を作った詩人達も活躍した。明治時代になると、こうした先人を顕彰する動きが見られ1891(明治24年)10月に花巻城三の丸に『鶴陰碑』と呼ばれる記念碑が建てられ、この碑には安永年間(1772〜81)から明治時代初めにかけての110年間に武芸・学問・書 画・和歌などで活躍した先人194名の名前と建設の趣旨が刻まれている」

 

 この中に「上田弥四郎」(1768―1840年)という名前がある。上田東一市長の遠い血筋に当たる人物で、説明資料には「花巻城の大改修工事(文化6年)の際に指揮を取り、『造作文士』とも呼ばれた。儒者としても知られる」と記されている。かつて、鶴陰碑が建っていた旧三の丸は「東公園」の愛称で呼ばれ、人々が集う桜の名所としても知られた。いまその面影は消え失せ、瓦礫(がれき)がうず高く積み上げられ城跡一体は「新興跡地」(旧新興製作所跡地)と呼ばれるのが通例となっている。

 

 いまからちょうど10年前、就任直後の上田市長が直面したのが新興跡地の売却問題だった。当該地は「公有地の拡大の推進に関する法律」(公拡法)によって、市側に優先取得権が認められていたが、上田市長は「利用目的のはっきりしない土地の取得はすべきでない」と拒否。その後、所有者の不動産業者が破産した結果、この土地はいまでは所有者のいない「無主地」となり、最悪の場合は荒れ放題のまま、その無惨な姿をまちのど真ん中にさらし続けることになりかねない状態になっている。

 

 先祖の業績を踏みにじるような上田市長の「不決断」こそが責められなければなるまい。ところが、この人にとってはまるでどこ吹く風…逡巡(しゅんじゅん)する気持ちが一向に感じられないのである。それどころか、「鶴陰」精神が宿る城跡を荒れるに任せる一方で、その精神を新図書館の基本方針の筆頭に掲げようというのだから、こっちの神経の方が参ってしまう。「見晴るかす/高き城跡」…。春の選抜高校野球大会で快進撃を続けた花巻東高校の校歌にも誇り高く、謳われているではないか。だったら尚更のこと、先祖の名誉を取り戻すためにも「廃墟」の改修こそが先決ではないのか。

 

 私事で恐縮だが、碑文の揮毫(きごう)の主は小原東籬(忠次郎)(1852―1903年)で、私の曽祖父に当たる人物である。花巻市史などによると、明治時代の筆札(ひっさつ=教師)のかたわら、書家の大家としても活躍し、53歳で没するまでこの地方の小学校で教師生活を続けた。その一方で公共事業にも足跡を残し、花巻市立図書館の前身である「豊水社」を創設したほか、花巻リンゴ会社、花き栽培奨励のための花巻農政社なども立ち上げた。図書館事始めについてはこんな記述もある。

 

 「この名の起こりは、花巻の町を流れる豊沢川の水の様に、新しい知識を次々に求め得ようという意味で、町内の有力者52人で発足している。毎月10銭を拠出して書籍を購入し、ひろく町民に読書を普及させるもので、この豊水社の伝統が明治41年、花城小学校に『豊水図書館』を設立するきっかけとなった」(私家本『心田を耕し続けて―小原忠次郎の歩んだ53年』)―

 

 「この碑にはわたしの先祖の名前も刻まれている。城に対する思いは誰にも負けない」―。新興跡地の売却問題の渦中にあった10年前、上田市長は議会答弁でその胸中をこう漏らしたことがあった。その鶴陰碑にはこう刻まれている。「…生年月日、卒年月日、年令の長短、血筋の詳細、職位等はすべて辞去した。そういうものが碑文にあっても何の役に立つものではない」(現代語訳)。これこそが「鶴陰」精神そのものではないか。碑文の主は漢学者として知られ、後に衆議院議員を務めた名須川他山である。

 

 私の曽祖父が花巻城の大改修の陣頭に立った上田市長の先祖の名前を鶴陰碑に刻み、その子孫に当たる市長自身が今度は1世紀以上の時を経て、同じ曽祖父が設立した初代図書館「豊水社」の伝統を引き継ぐ「新花巻図書館」を担う立場に立たされている。めくるめくような「縁」(えにし)の不思議に圧倒されながら、ふと芭蕉の名句が口元に浮かんだ。「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」―

 

 鶴陰碑が建っていた新興跡地(花巻城址旧三の丸)の改修をすみやかに進め、その上で「鶴陰」精神を新花巻図書館の理念として、きちんと位置付けるべきであろう。それこそが自身の先祖であり、194人の郷土の先達のひとりでもある「上田弥四郎」の意志に報いることではないのか。今からでも、遅くはない。「仏作って、魂入れず」―になってはならない。


 

 

 

 

(写真は雑草におおわれ、がれきが放置されたままの新興跡地(旧三の丸)。兵どもの夢の跡をいまに伝える=花巻市御田屋町で)

 

 

 

 

 


2025.04.07:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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