▼私論「まるごと賢治」…「美代子、あれは詩人だ。石を投げなさい」
「(宮沢賢治ばやりを批判し、朗読会ブームについて)詩にとって、朗読は自殺行為だ。共感・理解されるだけの方が気持ち悪いかもしれない。『読みたくなかった』と思われるくらいの何かを残したい」(2月21日付「朝日新聞」)―。多様な芸術領域に足跡を残した詩人、大岡信をたたえる「大岡信賞」の第5回受賞者に決まった現代詩作家、荒川洋治さん(74)が激越な賢治批判者だと知った。”賢治教”の信者ではないが、人並みの愛好者にとってはすわっ、一大事。さっそく、その原典の詩集を古書店に求めた。若干、旧聞に属すが、連休中の話題づくりにどうぞ… 『坑夫トッチルは電気をつけた』(1994年10月刊)―。風変わりなタイトルの詩集の「美代子、石を投げなさい」という一編にその批判の一端が載っていた。「宮沢賢治論が/ばかに多い/腐るほど多い/研究には都合がいい/それだけのことだ…」―。いきなりのパンチにちょっと、引けた。「社会と歴史と現在を文学で独自につなぐ試み」と受賞理由にある。その難解な詩風に圧倒されながら、やっと巻末にたどり着くと、そこに一人の名前を発見した。「1995年3月17日、池袋にて。中里友豪」という書き込みがあった。念のため、インターネットで来歴を調べてみた。 地元の「琉球新報」に中里さんの記事を見つけた。自分の不明を恥じた。「沖縄の琉球大学を卒業後、教師生活を経て、演劇集団『創造』の結成に参加。1998年、詩集『遠い風』で沖縄を代表する第21回山之口獏賞、2000年には戯曲『越境者』で第4回沖縄市戯曲大賞。2021年、84歳で病没」―。中里さんは「美代子、あれは詩人だ。石を投げなさい」という激しい言葉で結ばれるこの詩の何か所かに赤いボールペンで棒線を引いていた。たとえば、こんな個所に… 「宮澤賢治よ/知っているか/石ひとつ投げられない/偽善の牙の人々が/きみのことを/書いている/読んでいる/窓の光を締め出し 相談さえしている/きみに石ひとつ投げられない人々が/きれいな顔をして きみを語るのだ…」―。この棒線の部分にこそ、中里さんの共感の意思表示が込められているのだと思った。基地問題などに揺れる「沖縄の苦悩」と向き合い続けた詩人にとっての「賢治の違和」は私にも分かるような気がした。 「賢治の強さ、やさしさ伝えよう」というテーマを掲げた第15回「雨ニモマケズ」朗読全国大会が今年1月13日、花巻市内で開かれた。先の大戦の際は国威高揚のために利用され、戦後になると今度は耐乏生活を強いるためのスローガンに採用された。そんな「雨ニモマケズ」を朗々と謳いあげる、その光景に私は何となく「不穏」な空気を感じてしまうのである。海の向うではいま、ウクライナとガザの悲劇が極限に近づきつつある。「弾ニモマケズ」といった無神経なギャグが私の身辺でささやかれたのは記憶に新しい。「賢治」という両刃の剣… それにしても「流転の妙」ということをつい、考えてしまう。約30年前、東京・池袋の書店で、この詩集を購入した中里さんが何かの事情で古書店に手放し、それをいま私が手にしている。かなりの年月を経て、表紙は破けたり、印刷がぼやけたりしている。それがまた,渺々(びょうびょう)たる流転の旅にピッタリで、楽しくなる。帯に「宮沢賢治賛美を痛烈に批判し、論議を呼んだ」の文字がかすかに読み取れる。さっそく、私論「まるごと賢治」の中の必読書に搭載することにした。 そういえば、賢治が生前、法華経の布教に歩いた際、「この気ちがい」と近隣の住人たちから実際に石を投げつけられたというエピソードを聞いたことがある。 (写真は回りまわって、私の元にやってきた荒川さんの詩集)
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2024.05.01:masuko
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