▼カント オロワ ヤク サク ノ アランケプ シネプ カ イサム
  妻が旅立って、7月29日でちょうど1年が経った。あの日も酷暑の夏だった。抗がん剤治療を続けていた妻は見る見るうちにやせ細っていった。「神や仏はいないものなのか」…数年間にわたって、妻を苦しませ続けてきた「病魔」の前に私はなす術もなく、立ち尽くしていた。と、そんなある日、「神さまはいるんだよ」という声が遠音に聞こえたような気がした。  「徘徊する神」―。その神はアイヌの世界で、こう呼ばれていた。アイヌ語訳すると「パヨカ(歩く)・カムイ(神)」となる。長いひげをたくわえたエカシ(長老)がニヤニヤしながら言った。「アイヌは人間の力の及ばないものはすべてカムイだと信じてきた。だから、コタン(集落)を全滅の危機におとしいれる『病気』もれっきとしたカムイなのさ。病気の神さまも自分の役割を果たすのに必死なんだよ。病気をまき散らすためにせっせと歩き回るから、いつも腹をすかせていてな。で、徘徊する神というわけだ。この時の魔除けにもいろいろあるぞ」 かつて、アイヌ民族にとっての大敵は「疱瘡(ほうそう)=天然痘」だった。流行の兆しがある時には「どうか私たちのコタンには近づかないで…。これでお腹を満たしてください」と家々から持ち寄った穀物などを火の神(アペフチカムイ)を通じて届けたり、コタンの入り口に匂いの激しいヨモギの草人形を立てたりして、この病気の退散を願った。こんな言い伝えを口にしながら、「でもな、実際にパヨカカムイに取りつかれた時にどうするかだ」とエカシは自慢のひげをもてあそびながら、続けた。「薬だけで治ると思ったら、大間違い。病気の神さまとも仲良く付き合うことが大事なのさ」 入退院を繰り返していた別のフチ(おばあさん)からはこんな話を聞かされた。「病気の神よ、私の体の中はそんなに住み心地がいいのかい。でも、あんまり暴れるとワシも痛いから、仲良くしようよ。こう言うのさ」。元気になって退院したフチは今度はすました顔でこう言った。「やれやれ、あの病気の神さまはよっぽど、ワシの体の住み心地が悪いと見えて逃げて行ってしまったよ」―。30年近く前のこの時の取材体験を、私は病臥(びょうが)する妻に聞かせてやりたいと思ったのだった。ウンウンとうなづいていたその表情が一瞬、微笑んだように見えた。息を引き取ったのはその数日後のことだった。刹那(せつな)、ある歌が口からもれた。 「若き日 はや夢と過ぎ/わが友 みな世を去りて/あの世に 楽しく眠り/かすかに 我を呼ぶ、オ−ルド ブラック ジョ−/我も行(ゆ)かん、はや 老いたれば/かすかに 我を呼ぶ、オ−ルド ブラック ジョ−/我も行かん、はや 老いたれば/かすかに 我を呼ぶ、オ−ルド ブラック ジョ−」―。のちにシベリアの凍土で帰らぬ人となった父親を戦地に見送った直後から、当時まだ5歳だった私はアメリカの作曲家・フォスタ−のこの黒人霊歌をつっかえひっかえ、原語で歌うのが習い性みたいになっていた。父親との別れが子ども心にも辛かったのだと思う。その没入ぶりは母親もびっくりするほどだったらしい。 「Gone are the days when my heart was young and gay…」―。「一周忌」前日の28日、妻と私が幼い時に見物を欠かさなかった浄土宗・勝行院如来堂(市内鍛治町)の宵宮に孫たちを連れて行った。その時に不意に口をついて出たのもこの「オ−ルド ブラック ジョ−」(黒人の老翁・ジョ−)だった。一体、何故だったのか。いまもその理由は判然としない。宵宮のたたずまいが遠い記憶を呼び起こしたのだろうか。ひょっとしたら、世代をまたぐ孫たちに何かを引き継ぎたいという切羽つまった気持ちだったのかもしれない。 表題に引用した言葉はアイヌ文学の「ウエペケレ」(昔話)によく出てくる表現で、パヨカカムイもそうであるように、「天から役割なしに降ろされたものはひとつもない」という意味である。妻が他界したその日は私が引退を決めた市議選の投開票日に当たっていた。結婚以来50年―この間、新聞記者や市議会議員という荒っぽい人生の同伴者として、愚痴ひとつこぼすことなくその「役割」を十分に果たしてくれた。逆に、尻込みする私にハッパをかけてくれたりもした。さて、2期8年間の市議生活の歩みと妻亡き後の苦悩の日々を包み隠さず、書き綴ってきた当ブログを今回をもって閉じたいと思う。力尽きて旅立った後、さらに1年間も道連れにしたことを許してほしい。今度こそ、カント(天空)へと真っすぐに舞い戻ってほしいと心から願う。ありがとう、そして、さようなら…。 最後に長い間、お付き合いをいただいた皆さま方に感謝を申し上げます。この間、タイトルは宮沢賢治にあやかって「イーハトーブ通信」から「マコトノクサ通信」をへて、現在の「ヒカリノミチ通信」に変わり、延べアクセス数は87万件を超えました。皆さま方の叱咤激励(しったげきれい)がなかったら、途中で挫折していたかもしれません。またいつか、この場でお目にかかることができるのかどうか―。いまはただ、己自身が「パヨカカムイ」にならないよう、いや、このおっかない神さまに付け回されないように自戒を込めつつ、では、お元気で。   (2019年7月29日、亡き妻の一周忌の日に)   (表表紙の写真はアイヌ文化の伝承者、川上まつ子さん(故人)の物語世界を紹介する絵本「白鳥の知らせ」より。何となく、天空を連想させる=インタ−ネット上に公開の写真から)    
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2019.07.29:masuko

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