▼『ペスト』(デフォ−)から『ペスト』(カミュ)へ
  「ある種の監禁状態を他のある種のそれによって表現することは、何であれ実際に存在するあるものを、存在しないあるものによって表現することと同じくらいに、理にかなったことである」―。アルベ−ル・カミュの代表作『ペスト』(宮崎嶺雄訳、新潮文庫)のエピグラフにはこんな謎めいた言葉が置かれている。無人島の漂着者を描いた『ロビンソン・クル−ソ−』の著者と知られるダニエル・デフォ−が残した言葉である。カミュに先立つこと200年以上前、デフォ−も同名の作品(平井正穂訳、中公文庫)を発表している。「ペスト」のような目に見えない脅威は人と人を引き離し、監禁状態に陥れる…このエピグラフはそんなことを語っているのだろうか。  今から355年前の1665年、英・ロンドンはペスト禍の猛威に見舞われ、人口の4分の一に当たる7万5千人が死亡した。当時5歳だったデフォ−は長じるに及んで、「死亡週報」や生存者の証言を集め、ノンフィクションとも呼べる手法で作品を仕上げた。疫病におびえるロンドン市民とロビンソン・クル−ソ−に共通するキ−ワ−ドは「監禁」である。当時の阿鼻叫喚(あびきょうかん)の光景はまるで、もう一枚の透視画像(レントゲン)のように目の前のコロナ禍を浮き彫りにしている。「悪疫(ペスト)流行に関するロンドン市長ならびに市参事会の布告」―発生と同時に出されたこの布告(要旨)には例えば、こんな記述がある。  「すべての芝居、熊攻め、賭博、歌舞音曲、剣術試合、その他の雑踏を招くような催物は一切これを禁止する。すべての饗宴、とくに当ロンドン市の商業組合の宴会、料亭、居酒屋その他の飲食店における酒宴を、追って別命あるまでいっさい厳禁する。料亭、居酒屋、コ−ヒ−店、酒蔵における過度の痛飲は、当代の悪弊であるとともにまた実に悪疫伝播の一大原因であるから、厳重に取り締まる必要がある」―。現下の足元の「緊急事態宣言」そのものである。そして、デフォ−はそんな狭間(はざま)から聞こえてくる悲鳴もきちんと、拾っている。  「じゃどうしたらいいんです?わたしは飢え死にするわけにはいかんですからな。食う物がなくて死ぬくらいなら、疫病(ペスト)にかかって死んだ方がましだと思っているんです。仕事がなければ、何をやればよいというのです?こういったことでもしなければ、乞食をするだけじゃないですか」―。デフォ−の祖国・イギリスはコロナ禍による死者が3万人をはるかに超えてアメリカに次いで2番目、欧州では最悪を記録している。「ロックダウン」(都市封鎖)の段階的な解除にも踏み切った。「歴史に学ぶ」―ということはこんなにも難しいことなのだろうか。  「ペスト」終息に歓喜する当時の市民の様子を、デフォーこう描写している。「どの顔にもあるひそやかな驚きと喜びの微笑がただよっていた。街頭に躍り出て互いに手を握りあって喜びあった。そのさまは、これがつい先ほどまでは、道を歩いていても互いに同じ側を歩かないように、つとめて避けていた人たちとも思えないほどだった」―。こう書いた後で、皮肉まじりに続けている。「それは以前、彼らが悲しみのあまり、演じた狂態にも劣らないものであった。それについていくらでも例をあげて示すことができるが、せっかくの彼らの喜びに『けち』をつけたくないのでよすことにする」  「(放射能禍の)フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は、統制されています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすことはありません」―。安倍晋三首相は7年前、「アンダ−コントロ−ル」という言葉を使って、五輪誘致の正当化を主張した。今回のコロナ禍によって、来年に延期されたこの一大イベントの開催に向け、この人はふたたび「コロナはアンダーコントロール…」などと同じ言葉を口にするのであろうか。そして、多くの人たちはまたぞろ、コロナ勝利の凱旋行進の隊列に身を投じるのであろうか。デフォ−ではないが、これはやはり「悪夢」である。  「忘却とは忘れ去ることなり」―。もはや老残の記憶になってしまった感があるが、不意に70年近く前のNHKラジオドラマ「君の名は」の有名な冒頭のナレ−ションが頭によみがえった。「忘れる」ことへの罪悪感をこのセリフは続けてこう表現している。「忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」―。中世ヨ−ロッパのペスト禍が後世に残した遺訓「メメント・モリ」(死を忘るなかれ)と根っこは同じである。   (写真はペストを扱ったカミュとデフォ−の代表作) 
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2020.05.17:masuko

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