白洲次郎の三宅山荘〜ヒュッテヤーレン:やまがた花回廊

おきたま花回廊
白洲次郎の三宅山荘〜ヒュッテヤーレン


スキーがあまり得意でなかった白洲次郎(しらすじろう)が
三宅山荘の事を「スキーはひゅっとやれん」から
ヒュッテヤーレンと名づけたとの事。

引用→山形新聞より

白洲次郎の山荘ここにあり 山形の蔵王温泉・観光資源として活用
2009年07月07日 19:08

 戦後の混乱期、日本国憲法の草案作成に携わった故白洲次郎氏が昭和30年代に過ごした山形市蔵王温泉の別荘「Hutte JAREN(ヒュッテヤレン)」を観光資源として活用しようと、蔵王温泉観光協会は別荘に案内看板を設置、建物に通じる坂道も歩きやすいように整備した。中には入れないが、外観を見て楽しむことができる。

 白洲氏と蔵王とのかかわりは深い。東北電力会長に就任してからはスキーをしにたびたび蔵王を訪れていたといい、白洲氏が元県知事の故安孫子藤吉氏らに登山列車を整備する計画を持ち掛けたことが、現在の蔵王ロープウェイ整備につながった。

 別荘は上ノ台ゲレンデ近くにあり、白洲氏が東北電力会長就任中の1958(昭和33)年、建設されたとみられる。

 白洲氏の別荘が蔵王温泉にあることは地元でも意外と知られていなかったという。近年、白洲氏にスポットが当たるようになったこともあり、蔵王温泉観光協会、東北電力をはじめ、地元の経済関係者らが「白洲次郎を語る山形の会」をつくり、白洲氏の功績について学んできた。別荘については2006年、現在の所有者に観光資源として活用することを快諾してもらっている。

 今回は第1弾とし、県の木の香る街づくりモデル事業の補助を受けて案内看板とベンチを設置。道路から建物に通じる坂道に階段を整備した。道路に面した看板には白洲氏が蔵王のゲレンデに立つ写真を添えている。敷地内には白洲氏の功績、蔵王とのかかわりなどを紹介した看板とベンチを設置した。現在も草刈りや砂利を敷く作業を続けており、今後は建物内部の活用も検討している。

 語る会のメンバーで蔵王温泉観光協会総務運営委員会アドバイザーの伊東秀幸さん(67)は「白洲氏がいなければ、今のように雄大な蔵王スキー場はなかったと思う。もっとエピソードを集め、財産として紹介していきたい」と話している。
白洲 次郎(しらす じろう)
白洲次郎

白洲 次郎(しらす じろう、1902年(明治35年)2月17日 - 1985年(昭和60年)11月28日)は、日本の官僚、実業家。しばしば「白州」と誤記されるが「州」ではなく「洲」が正しい。終戦連絡中央事務局次長、経済安定本部次長、貿易庁長官、東北電力株式会社会長などを歴任した。

戦後、吉田茂首相の側近としてGHQと渡り合い、従順ならざる唯一の日本人と言わしめた。妻は白洲正子。
2010.10.14 [修正 | 削除]
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