▼太陽の塔から見えたもの
1970年の大阪万国博覧会を観に行かれた方はいらっしゃいますか?
私は当時小学校3年生。
行きたくて行きたくて、ガイドブックを擦り切れるほど眺めては、
各パビリオンの写し絵を描き、様々な想像を巡らせていました。
特に印象的だったのは、ソビエト館とオーストラリア館。外観がとってもユニークでした。
そしてもちろんお祭り広場の中心にそびえていた太陽の塔です。
これは本当にシンボルという名にふさわしい強烈なインパクトがありましたね。
ご存じのとおり岡本太郎氏の作品です。
最近岡本太郎氏についての記事を読んだことがきっかけで、
この太陽の塔に無性に会いたくなったのです。
京都で会合があったついでに足を延ばしてみました。

今でも圧倒的な存在感をもってそびえていた太陽の塔。
背面に過去を象徴する「黒い太陽」というのが描かれているのはご存知でしたか?


<手前のモニュメントはイサム・ノグチ氏の「月の世界」>

下調べなどせずに行ったので、EXPO70パビリオンなどという施設があるとはつゆ知らず、こりゃ儲けもの、とさっそく入ってみました。

館内を眺めていると、当時のガイドブックやニュースで見たことが、ありありと蘇ってきました。
桜の花びらを模った日本館、月の石のアメリカ館、変わった形のスイス館、みどり館、動く歩道、太陽の塔の内部にあった生命の樹などなど。
資料によれば、総来場者数がなんと6000万人!
6か月間ですから、月平均1000万人。一番多かった日は83万人ということですから、
それはそれはすごいイベントだったわけです。
当時は娯楽も情報も少なかったし、すべてが珍しく新鮮だったことでしょう。
興味をそそられたのは、当時の様子のビデオ放映。
開門と同時にお目当てのパビリオンに走る人たちのみなぎるチカラ! 
そのエネルギーこそが高度経済成長を支えたものだ、と感じました。
今なら事前に整理券などをゲットしたり、スマホの情報などを駆使して、実にさらりとスマートに行動することでしょう。
それも悪くはないけれど、エネルギッシュな70年代を懐かしく羨ましく感じました。

「進歩と調和」がテーマだったEXPO70。
すでに43年という年月が過ぎ、まさにめまぐるしい進歩を遂げた現代。
これからの技術的進歩は加速度的であり、問われるのはまさに調和のほうでしょう。
このキーワードから外れると、大きな問題が発生するのが常です。
つまり問題こそが調和を教えてくれる先生なんですね。
そんなことを思い起こした1日でした。

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2013.08.31:壱岐産業

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