▼ハモコミ通信2015年8月号
今月の「まちネタ」は読者からの投稿コラムです。どうぞお楽しみください。 ◎ 他人を育て、他人から育てられる 最近我が息子が都会の勤務を辞めて田舎に帰って来て、自宅での生活になりました。田舎は車が無いと生活できない環境であり、初めて愛車の購入をすることになりました。祖父や祖母が車代を援助をし、私も少しばかり援助をしました。 しかし、合計金額までには至らずに残りは自分で何とかするように息子に言って、支払いを車屋さんに早く行くように話をしました。 ところが、子供はなかなか行かなかった。(後から知ったこと) お金を渡して、約1ヶ月後に車屋さんに行って、お金が足りないことを車屋さんに息子は話したようです。 その場で車屋さんから電話をいただき、事情を聞き初めて状況を理解できました。 親は何も知らず、子供からの相談もありませんでした。こまった時に解決できず、時間だけ過ごしてしまう対応をしてしまった子供に育てたのは私です。 反省するとともに、車屋さんには振込先の金融機関を聞くように子供に話をし、早急な入金を行うことで解決しようと考えました。 ところが車屋さんから意外な返事が帰って来ました。 「このまま親が処理すれば、私はありがたいのですが、子供のためにならないのでは?」 全くその通りだと感じ、支払いが遅れたことを陳謝し、考え方に共感いたしました。 その後に車屋さんから提案があり、「毎月いくらかでも、自分で支払うように、私(車屋)と息子さんで約束をして息子さんに自覚を持たせてはどうか?」 とてもありがたく、涙が溢れてきました。 車屋さんは私自身が昔から、顔は知っていましたが付き合いや、会話はほとんどしたことがありませんでした。 私の父親と商売で取引があったみたいで、父からの勧めでその車屋さんから購入することになっていた) 車屋さんに、是非そうさせて欲しいことと、感謝の気持ちを伝えました。 この車屋さんは、車を売って商売をしていますが、売っているものは車だけでは無いことを感じました。 その後に、私の周りのいろんな人が、この車屋さんにお世話になっていることを耳にし、私の父がこのような人との付き合いをしていることに、さすが父だと感じました。 私はサラリーマンですが、仕事で沢山の方々と付き合いはありますが、このような付き合いができる人はなかなかいません。 車屋さんのような大きな器の人間になりたいと感じました。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ <コメント> 車屋さんのご厚意、できそうでできないことですね。 コミュニティの力が弱くなっているなどと言われたりしますが、昔だってこの車屋さんのような方ばかりではなかったと思います。ただ、いい意味でのお節介な人の割合が減ってきているということでしょうか。  まずはこちらからの「良い話大募集」のリクエストに、ご自身の体験談をご自身の言葉で綴ってくださったことに心より感謝申し上げたいと思います。 まだまだ募集中ですので、こんないい話を読んだよ、とか、こんないい話を聞いたよ、というお話がありましたら、ぜひご一報くださいませ。どうぞよろしくお願いいたします。 ◎「六つ知らず」(江戸のこころ) 先日、「江戸しぐさを今学ぶ意味」 と題する講話を聞きました。 てっきり「こぶし浮かせ」 「傘かしげ」 「うかつあやまり」 などの仕草や行為そのもののお話と思いきや、日本人の伝統的思考などを古事記からさかのぼって、とても興味深く拝聴しました。 その中で、「六つ知らず」 というものを教えていただきました。 数を数えるとき、指を一、二、三、と内側に折っていくと、五で握りこぶし(握りしめた状態)となりますね。 六からは、七、八、九、十と、内側に折った指を開いていく形となります。 それは、握ったものを少しずつ手放す=それまで得てきたことを社会に還元する、ということを象徴していると江戸の人たちは捉えたようです。 五で留まっている人(=自分の利益だけを考える人)は「六つ知らず」と呼ばれ、軽蔑されたそうです。
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2015.08.05:壱岐産業

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