▼ハモコミ通信2019年1月号
謹んで初春のお慶び申し上げます。今年も、「まちネタ」(街で見つけたコラムに潜むコミュニケーションのネタ)をお楽しみください。 ◎「祈り」は「意宣(いのり)」 人間は太古の昔から、「祈る」ことが大切であることを知っていました。 また時代を超えて、「祈り」の大切さが語り継がれてきました。「祈り」とは「意宣(いのり)」つまり意を宣言することです。 科学が発達してきた現在、改めてこの「祈り」や「瞑想」といった行為の意味を考えてみた場合、そこに「脳に対する方向付け」「関心の刷込み」としての効果があることがわかってきました。 人間は、空腹のときはなぜか飲食店の看板ばかりが目につくものです。これは意識付けられた脳が、そのフィルターを通して情報処理をする結果です。 つまり、願望や目標、課題やテーマといったものを刷り込まれた脳は、その「意識付けられた事柄」に焦点を合わせ、情報収集や情報の組み合わせ(発想や解決策の発見)をするようになるということです。 日々の「意識付け」を祈りという形で行うことも有効なのです。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ <コメント> 決して真新しい情報ではないと思いますが、新年にふさわしい内容ではないかと思い、選びました。 昨年1年を静かにふり返り、今年1年の決意を初詣などで祈りを込めて誓った人も多いと思います。 あるいは三が日、あるいは1月をかけてじっくり考えようという方もいらっしゃるでしょう。 「祈る時、すでに成就したものと思え」という言葉もあります。これはさらに積極的な考えですね。 こう思うことにより、成就しないという選択肢はなくなり、信念をもって、どうやってそこへたどり着くか、という方向に思考回路が動き出していくのでしょう。 個人として家庭人として、仕事人として地域社会人として、澄んだ心で全体を見つめ、澄んだ祈りを捧げ、意を形にしていきましょう。  ◎とりあえず お酒を飲む席で「とりあえず」といえば「ビール」とくるほど、日本人なら馴染みの言葉ですが、《 まずはやってみよう 》という気さくさが、人生を拓(ひら)く決め手となることは、意外と気づかれない盲点かもしれません。 それを示すのが、高等学校へ進学せず、通信制大学から東大の教授になった柳川範之さんの生き方でしょう。 柳川さんは自らの体験を通して、「とりあえずやってみる」というやり方を勧めています。「やってみなければわかりません。これは就職活動にも独学にもあてはまることです。いろいろなところで試行錯誤をすることが大事なのです。トライ・アンド・エラーをするくらいの余地を最初からつくっておかないと、なかなか選びとるとか決めるとかいうのはできないと私は思っています」 実践という言葉も、「践」という文字が示すように、自分の足で践(ふ)み出すところがポイントです。 一歩践み出せば、何かが変わるのです。やればできる、やらなければ何もできません。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ <コメント> これも誰でも口にするような話ではありますが、誰が言うか、というのもポイントですね(笑)。 先日、実践と行動の違いは何か、という話を聞きました。実践とはチャレンジを伴うものだそうです。 チャレンジがうまくいって、それが習慣になればしめたもの。しかし、その時点でそれは実践ではなく良い行動(行動習慣)に変わるというのです。 もっと良くするにはどうしたらいいか、そういう高みを目指す道には終わりがありません。「より良く」にも100段階くらいありそうです。 実践を重ね、少しでも前に進んでいきたいですね。
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2019.01.01:壱岐産業

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