長井まちあるき物語 吉田商店:長井市観光ポータルサイト
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長井まちあるき物語 吉田商店
2014.04.25:Copyright (C) 読みもの長井物語
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山形県長井市。それは、水と緑と花の奥座敷・・・・・
ゆっくりと まちなみに ふれてみませんか・・・・・
魅力あふれる 深い建物を醸し出す風景に 足を運んで下さい
(資料:長井市史、神奈川大学工学部建築学科 西和夫 長井市歴史建造物調査報告書、文教の杜)
吉田商店は、白つつじ公園の西、あら町地区のほぼ中央に位置し、北面と東面が道路に面する角地に立地しています。敷地の東から店舗・取次ぎ・主屋・土蔵と西方向へつながり、敷地の南に水路があります。昔はこの水路の水を利用してよくスイカなどを冷やしたといいます。主屋は昭和33年(1958)に敷地奥から現在の位置に移築したものです。敷地奥の土蔵は、現在の御当主のものでなあく、建築年代は棟札に「昭和六年四月十五日 上棟式 二代 吉田新兵衛 六十八歳・棟梁 酒井吉次 二十八歳」とあり、昭和6年(1931)です。
店舗の構造は木造2階建て、切妻造り、鉄板葺き、平入り。柱を見せた真壁構造で、小屋組みは小屋梁(はり)の上に束を立てて棟を支える和小屋です。外壁は白漆喰塗仕上げ、北面のみ一部腰をモルタル洗い出し仕上げとし、北面と東面、西面の一部はトタンで覆っています。北側外壁のモルタル洗い出し仕上げの部分には「たばこ」の文字が見られ、かつてはそこがたばこ売場のカウンターになっていたのではないかと考えられます。東側に下屋を付けおろし、南面と西面には出格子(こうし)を設けています。梁間3間、桁(けた9行4間の規模で、設計基準尺は芯々6尺3寸。建築年代は、御当主からの聞き取りにより、明治期です。
間取りは1階が店舗、2階が8畳と6畳の二部屋があります。1階は壁を板壁、天井を根太(ねだ)天井とし、下屋を下屋天井としています。東側の下屋部分から出入りし、床は現在床板を張っておらず土間となっていますが、柱にかつての床板の痕跡が残っており、土間から11寸の高さの位置に床板が張られていたことがわかります。建物の中央東側よりの4本の柱には、柱の北面と南面の両側に縦に長い溝が見られました。これはかつて上げ戸であった痕跡で、当地域では上げ下げする板戸のことを「シトミ」と呼んでいます。下屋部分に板戸をしまう空間が確保されており、かつては3枚の板戸を上げ下げするシトミ立ての表構えであったことを表しています。また、昭和30年代までは店舗の南面から北へ1間のところは間仕切りがあり、それより南側は外部で、水路の水はかつて店舗の下ではなく外部を流れていました。西側の梁(はり)や柱には臍穴(ほぞ)や貫(ぬき)跡がいくつか見られますが、これはかつて使用していた商品棚の柱跡で、棚の奥行きは約1尺5寸です。
2階は、8畳の部屋の北側向かって左側に床、右側に地袋がつく床脇(とこわき)を設けています。6畳の部屋の南面と西面には出格子(でごうし)を設け、西面には地袋がつきます。8畳と6畳の部屋は廊下でつながれていますが、2階入口部分や廊下と6畳の部屋との接合部など後から廊下を作ったような跡が見られ、かつては8畳が二部屋あり、廊下はなかったのではないかと考えられます。
吉田商店の本家は山一醤油です。かつては配給制度の影響もあり、塩や油・豆・石油・砂糖・雑穀を扱っていましたが、昭和28年(1953)の統制により扱えなくなりました。その後、昭和32年(1957)から現当主の趣味でもあったおもちゃと貸本を扱うようになり、昭和34年(1959)に山形のシバタモデルから委託販売を始めた事が模型店のきっかけでした。現当主は4代目。
現在、長井市で上げ戸を確認できる建物はほとんど残っておらず、上げ戸の痕跡を確認できる吉田商店は大変貴重な存在です。また、道路に面して店舗が建ち、敷地の奥に向かって主屋が直角に接続するというこの地域の特色をよく表しています。