2015 フィルム講座 大正3年対昭和9年 16:長井市観光ポータルサイト
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2015 フィルム講座 大正3年対昭和9年 16
2015.04.17:Copyright (C) 読みもの長井物語
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平成26年度「長井の心を育む推進事業」で公開した写真を取り上げる。
長井のまちには、その歴史の中で様々な建物があらわれては消えを繰り返してきた。現存しているものもあれば消えてしまったものもある。その時々の人々の暮らしを彩り、時代を形どってきた建物等を、大正3年・昭和9年の時間軸周辺でご覧いただく。
銀行の大正3年対昭和9年
大正3年の地図
大正3年は長井駅開業そして、長井に初めて電灯が灯った記念の年。その時代に銀行は3行確認できる。
大正3年発行の町勢要覧に掲載された「両羽銀行長井支店」の写真。両羽銀行(現山形銀行)は、明治29年4月14日山形市に開業。長井町には明治30年3月15日、宮十日町635番地(第八十八国立銀行長井出張所内)に「両羽銀行長井出張所」として開設された。そして同年4月1日から営業を開始した。同年6月30日には第八十八国立銀行長井出張所が廃止となり、両羽銀行がその業務を引き継ぐ。
明治33年11月6日、同じ十日町560番地に移転。地図の箇所が、それ。明治34年8月1日には出張所から長井支店に昇格。
大正3年の町勢要覧に掲載された長井銀行の写真
明治41年の絵葉書写真
株式会社長井銀行は明治30年10月27日、小出2485番地に資本金6万円で設立された。前身として明治24年3月、共興会(または芝興会)がある。明治37年11月にあら町に移転する。
大正3年当時の頭取は横山孫助。長井銀行は昭和8年8月11日に羽陽銀行に買収され、姿を消した。
株式会社第百廿五銀行長井支店の写真。これも、大正3年発行の町勢要覧に掲載されたもの。いつから設置されていたか不明だが、大正3年にはあった。当時の支店長は石口寅之助。
株式会社第百廿五銀行の前身は、明治11年12月19日、米沢に開設された第百廿五国立銀行。明治30年8月11日には株式会社第百廿五銀行となり、昭和2年4月11日まで存在した。
昭和9年の地図
写真は、現NTT敷地に建っていた旧羽前銀行長井支店の建物。昭和26年に「置賜信用組合(現山形中央信用組合)」が入居した。
羽前銀行は昭和3年10月10日、荒砥町大字石那田958番地に資本金100万円で設立された。荒砥銀行・赤湯銀行・沖郷銀行が合併したもの。
長井町には昭和4年10月、「大字宮境町西1 460番地2(現NTT敷地)」に長井支店として設置された。昭和15年8月1日には両羽銀行に合併し、羽前銀行は姿を消した。
大正15年9月25日、宮境町東2に新築移転した「両羽銀行長井支店」。赤レンガ造り。両羽銀行はその後、昭和15年8月1日に羽前銀行を買収、昭和16年11月1日に羽陽銀行を買収。昭和40年には山形銀行と改称した。
羽陽銀行長井支店は、昭和8年8月11日、長井町小出1267番地に設置された。その後、昭和9年10月1日に長井町小出2457番地に移転、昭和16年11月1日の両羽銀行に買収されるまであった。羽陽銀行は左沢町左沢379番地に資本金15万円で設立された「左沢銀行」が前身。昭和4年12月31日に羽陽銀行と改称。