2015 フィルム講座 大正3年と昭和9年 19:長井市観光ポータルサイト
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平成26年度「長井の心を育む推進事業」で公開した写真を取り上げる。
長井のまちには、その歴史の中で様々な建物があらわれては消えを繰り返してきた。現存しているものもあれば消えてしまったものもある。その時々の人々の暮らしを彩り、時代を形どってきた建物等を、大正3年・昭和9年の時間軸周辺でご覧いただく。
製糸場の大正3年対昭和9年
大正3年の地図
羽陽館川村製糸場は現在の長井アパレル(元郡是製糸)にあったが、写真はない。川村利兵衛が明治7年に製糸場を建設、以降拡大し、明治20年には羽陽館川村製糸場を設立した。女工75名男工12名の規模。「羽前エキストラ」としての名声を得た。明治38年に川村が病死、長沼惣右衛門が受け継ぎ「長井製糸場」と改称した。以降、片倉製糸に工場を貸したが、明治42年には再び長沼氏自ら、経営に乗り出した。しかし、糸価が低落し大正初年に、漆山の多勢亀五郎に経営を委任する。それも2年でやむなく手を引いた。その後2年ほど休業するが、大正3年当時がちょうど休業期間だ。その後、横浜の生糸問屋渡辺文七の所有となり、続いて信州富国館製糸の両角慶一の手に移り「羽陽館両角製糸場」と改称して大正9年の郡是につながっていくのである。
大正3年発行の町勢要覧に掲載された「三由軒製糸場」の写真。
三由軒製糸場は、明治20年、つつじ公園開発などに寄与した横山孫助氏が開業、明治28年、四ツ谷に工場を新設した。仏式製糸機械48釜を設備、32年には製糸講習所を設置するなど意欲的だった。43年にはボイラーを設置し70釜の大工場となった。
昭和9年の地図
昭和9年の町勢要覧に掲載された郡是長井工場の写真。同じ写真考えられるものが下記に。
郡是製糸長井工場は大正9年1月に羽陽館両角製糸場を買収し2月1日に280釜で事業を開始した。買収時の敷地は4500坪、建坪880坪であったが、隣接地約1万坪を買い入れて設備を改築拡張した。
昭和7年には582釜、約1000名の従業員を有し、購繭数量57万貫、生糸生産高は5万貫を超えた。昭和8年には普通機180釜、多条機156台に改め昭和13年には全設備が多条機460台となった。
大正11年の町勢要覧に掲載された三由軒製糸場の写真。大正10年の生産高は、生糸4530貫目、屑物1400貫目、繭買入高春繭34000貫目、夏秋蚕14000貫目をほこった。大正11年には工場の大改築を行い活況を呈したが、昭和17年の企業整備令によって製糸業を廃業した。