長井の明治 2:長井市観光ポータルサイト

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長井の明治 2


明治11年7月4日

 

第九大区の区務所を宮村に新築すると決定

 

明治11年7月22日

 

 

郡区町村編成法布告。郡区事務取扱は郡役所・区役所と称す。この法によって置賜は東・西・南の三郡に分けられた。なお、町村には戸長一名をおく。

 

明治11年10月24日

 

警察、邏卒(らそつ)の名を廃し、巡査と改める

 

明治11年11月1日

 

宮村に建築される区務所が新たに郡役所と定められる

 

明治11年11月

 

 

西置賜郡役所は宮村に洋風に新築され11月竣工、12月1日に落成式開業挙行。勧進代獅子踊と河原沢村神楽が。11月23日から29日は一般観覧ゆるす。その後、大正15年7月1日に廃止 12月1日開業式挙行 小幡文書(明治11年20日新築落成・開所式の通達 12月1日開所式執行)工期は4ヶ月、建築費は4,518円。

今でも見ることができる西置賜郡役所

 

 

明治11年11月

 

23日から29日まで郡役所を一般公開

 

明治12年1月20日

 

初めて山形県議会議員選挙を行う

 

明治12年6月20日

 

夜小出の籾蔵火災、1万余俵焼亡

 

明治13年4月8日

 

区・町・村規則を制定

 

明治13年6月8日

 

 

上伊佐沢村・下伊佐沢村・芦沢村の三カ村合併して、伊佐沢村となる

 

明治13年

 

栗子トンネル・新道できる。翌年「万世大路」と命名

 

明治14年

 

 

森小学校、14年に設置したが26年浅立小学校に合併

 

長井警察庁舎できる

手前は撞木橋と上人松

 

 

明治14年11月

 

西置賜郡役所で、第三回繭糸競進会開催

 

明治15年5月23日

 

宮小出中央に長井小学校建つ。翌年平章と改める。大正2年には停車場新設により改築移転する。総工費3万8千5百円。

 

現中央十字路付近から西方 校舎が奥に見える

 

 

 

明治15年12月8日

 

長井・荒砥間の郡道(東街道)竣工

 

明治15年12月8日

 

 

長井橋渡り初め。長井橋開通。この年、小出有志の献金により小出電信局設立する。長井荒砥間の郡道も整備された

 

明治16年6月

 

 

米沢・長井間に電柱架設工事始まる。越後から西方吉太郎を招き、絣紬の伝習を受ける

 

明治16年7月2日

 

政府、官報第1号を発行

 

明治16年12月

 

白川橋完成

 

明治16年

 

伊佐沢人参栽培に成功

 

明治17年

 

 

宮村小出村の戸長役場を接取院に置く

 

摂取院に間借りした 古い写真を借用 写っている方々は役場とは無関係

 

明治17年

 

 

小出区民が公園(小出公園、現つつじ公園)づくりを始める。翌年にかけて、池を掘り中島に松を植えた。初めて「松ケ池公園」の名称用いられる。名付け親は、立原和愛。

 

明治17年度

 

初代郡会議事堂に附属する土蔵建築

 

明治18年

 

羽陽館川村製糸工所となる

 

明治19年4月10日

 

小学校令により、尋常・高等の二科、修業各四年制となる

 

明治19年8月

 

 

新潟十日町の西方吉太郎を長井紬改良のため招聘。9月には製品すべてを「長井紬」に統一

 

明治19年11月10日

 

白川橋竣工し、渡り初めを行う

 

明治20年4月

 

学校令公布により尋常高等小学校となる

 

明治20年7月

 

横山孫助、三由軒製糸場を創業

 

明治20年7月22日

 

 

宮村にはじめて象の見世物かかる

 

当時の広告チラシ

 

 

明治20年10月20日

 

 

東北本線、上野仙台間が開通。これにより、最上川舟運による日本海側から陸路の表日本になっていく。

 

明治20年

 

川村利兵衛が、羽陽軒川村製糸場を設立

 

明治20年度

 

 

初代郡会議事堂建築(連合町村会)。梁間六間、桁間十間、二階造西洋風の造作。予算千円

 

西置賜郡役所の南方に 洋風建築4番目

 

 


2016.01.28:Copyright (C) 読みもの長井物語
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