川西堀金の證誠寺へ:獅子宿んだよね日誌
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川西堀金の證誠寺へ
五月晴れの勢いで西大塚、岡の取材から堀金の證誠(しょうじょう)寺に突入した。
途中、代掻きが始まった田園の美しさに見とれ、しばし青葉薫り繁る風景に目を奪われた。
湿度が少ないと、景色もこんなに透き通って見えるのだ。
街道を通らず、あえて知らない道を行くと、知らない神社に出会える。
先日も同所、谷地の宝蔵寺と隣接する鬼子母神の彫刻に出会い彫り師の金子熊太郎
を発見した。
さて證誠寺は隣接する熊野神社の別当でもある。
まずは熊野神社の消えかかっている奉納札の墨書を赤外線カメラで見てみる。
バカチョン赤外線カメラに、バカにならない発見を期待しているのだが・・なかなか。
さて證誠寺には、古そうで意味有りげな趣きの気になる獅子頭がある。
宮内の熊野大社の證誠殿で獅子頭展を開催した事があり、ひときわ異端の様相を見せていた。
その魔界からの使者のような顔付につい魅了され写真からレブリカ制作をしてしまった。
写真だけの情報では納得せず悶々として月日が経った。
取材の連絡も無く訪れるのは誠に失礼であるが、お寺や神社には無礼な訪問者には寛容である
事を信じているのだ。
ご住職が庭の手入れに精進している。
訪問者に気づかれた。
突然の訪問者は武器として名刺を渡し「獅子頭を彫っている者ですが・・」という殺し文句を
突きつける。
意外な自己紹介で煙に巻く手法である。
さらに「置賜の獅子頭の調査取材をしておりまして・・」と迫撃砲を放つ。
分かった様で分からない理由に、ついついご住職は獅子頭の安置しているお堂を意外な程
すんなりと公開していただいたのだ。
更に、向かい側の拝殿に案内されてしまう展開。
私は別に催眠術を使った訳でもないのだが、私の純粋な探究心を察知されたのだと確信した。
逗子の扉を開くと、それは見事な見事な仏様が現れた・・・・思わず手を合わせ合掌。
左手に薬壺を持つ薬師如来像・・蓮華の台の淡い緑が美しい
不動明王の炎が鈍く光っている。金箔が押されているのだろう。ストロボに反射して
紅蓮の炎が揺らめいている。せいたか童子か、こんがら童子の腕が破損し落下している。
ご本尊の台座に鮮やかな彩色が残っている複数の明王だろうか?が、また美しく煌びやかだ。
衣装装飾が見事で、台座をさ支える姿が良い。
ご本尊の上部の龍の彫り物も見事である。複数の棟札を拝見すると古い物で延寶二年
(1674)の年号がある。明治廿三(23)年の棟札に副棟梁として
「金子熊太郎」「菅原寛蔵」の名前が目についた。この彫り物の作者であろう。
金子熊太郎は文頭で紹介した鬼子母神の龍の裏に記名があった同人物。
菅原寛蔵は不明だが、越後の匠の可能性がある。
さて最後に獅子頭について観察してみると、見慣れている形と異なる。
うまく説明出来ないが、獅子の顔付が神社仏閣の入り口にある獅子の彫刻の型である。
以前紹介した山形市の月山湯殿山両所の宮の山門の獅子像の雰囲気に溢れている。
下顎の持ち手は無いが、右手の持ち手棒には握りやすい様に棒の角を削る工夫がある。
巻く穴もあり守護として飾るだけではなかったと推測する。
赤外線カメラで記名を探したが不明だ。
獅子頭については、隣の熊野神社を拝見して調べてみたい。
歴史が古いので神仏混合、神仏分離、廃仏毀釈の受難のいろいろもあるだろう。
奉納札や棟札も楽しい素材である。 つづく
2016.05.17:Copyright (C)
獅子宿燻亭5
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途中、代掻きが始まった田園の美しさに見とれ、しばし青葉薫り繁る風景に目を奪われた。
湿度が少ないと、景色もこんなに透き通って見えるのだ。
街道を通らず、あえて知らない道を行くと、知らない神社に出会える。
先日も同所、谷地の宝蔵寺と隣接する鬼子母神の彫刻に出会い彫り師の金子熊太郎
を発見した。
さて證誠寺は隣接する熊野神社の別当でもある。
まずは熊野神社の消えかかっている奉納札の墨書を赤外線カメラで見てみる。
バカチョン赤外線カメラに、バカにならない発見を期待しているのだが・・なかなか。
さて證誠寺には、古そうで意味有りげな趣きの気になる獅子頭がある。
宮内の熊野大社の證誠殿で獅子頭展を開催した事があり、ひときわ異端の様相を見せていた。
その魔界からの使者のような顔付につい魅了され写真からレブリカ制作をしてしまった。
写真だけの情報では納得せず悶々として月日が経った。
取材の連絡も無く訪れるのは誠に失礼であるが、お寺や神社には無礼な訪問者には寛容である
事を信じているのだ。
ご住職が庭の手入れに精進している。
訪問者に気づかれた。
突然の訪問者は武器として名刺を渡し「獅子頭を彫っている者ですが・・」という殺し文句を
突きつける。
意外な自己紹介で煙に巻く手法である。
さらに「置賜の獅子頭の調査取材をしておりまして・・」と迫撃砲を放つ。
分かった様で分からない理由に、ついついご住職は獅子頭の安置しているお堂を意外な程
すんなりと公開していただいたのだ。
更に、向かい側の拝殿に案内されてしまう展開。
私は別に催眠術を使った訳でもないのだが、私の純粋な探究心を察知されたのだと確信した。
逗子の扉を開くと、それは見事な見事な仏様が現れた・・・・思わず手を合わせ合掌。
左手に薬壺を持つ薬師如来像・・蓮華の台の淡い緑が美しい
不動明王の炎が鈍く光っている。金箔が押されているのだろう。ストロボに反射して
紅蓮の炎が揺らめいている。せいたか童子か、こんがら童子の腕が破損し落下している。
ご本尊の台座に鮮やかな彩色が残っている複数の明王だろうか?が、また美しく煌びやかだ。
衣装装飾が見事で、台座をさ支える姿が良い。
ご本尊の上部の龍の彫り物も見事である。複数の棟札を拝見すると古い物で延寶二年
(1674)の年号がある。明治廿三(23)年の棟札に副棟梁として
「金子熊太郎」「菅原寛蔵」の名前が目についた。この彫り物の作者であろう。
金子熊太郎は文頭で紹介した鬼子母神の龍の裏に記名があった同人物。
菅原寛蔵は不明だが、越後の匠の可能性がある。
さて最後に獅子頭について観察してみると、見慣れている形と異なる。
うまく説明出来ないが、獅子の顔付が神社仏閣の入り口にある獅子の彫刻の型である。
以前紹介した山形市の月山湯殿山両所の宮の山門の獅子像の雰囲気に溢れている。
下顎の持ち手は無いが、右手の持ち手棒には握りやすい様に棒の角を削る工夫がある。
巻く穴もあり守護として飾るだけではなかったと推測する。
赤外線カメラで記名を探したが不明だ。
獅子頭については、隣の熊野神社を拝見して調べてみたい。
歴史が古いので神仏混合、神仏分離、廃仏毀釈の受難のいろいろもあるだろう。
奉納札や棟札も楽しい素材である。 つづく