▼亨保16年の獅子頭
米沢市川井の羽黒神社に小松の詳しいオジサンと同行した。
こちらの獅子頭を拝見するのだ。
写真で見たお顔が尋常でなく怖いので昨年から楽しみにしていた。



川井地区の羽黒神社は小高い丘のテッペンにあり眺めよく米沢の町並みが一望出来る。
急な階段の横には何故かコンクリート製の滑り台があり、テッペンから滑り落ちる事が
出来るが、ズボンのお尻が心配で勇気がでなかった。

実は昨年近くの浅川の泉養院に獅子頭拝見のお願いに来て、こちらを下見していたのだ。

本日は小松のオジサンにアポを取ってもらい3時に神主さん宅にお邪魔する事をお願い済みだ。
小松のオジサンは置賜民俗学会の会員で、米沢では顔が広い。



写真で見たより想像以上の迫力・・・何と言っても鼻筋の盛り上がるシワが津波のようだ。
漆の塗膜が薄く木地の木目が見える不思議な塗り方で、口や唇にうっすら朱が見える。
噛み締める表情が面白い。前歯が下唇を噛む様な激しい表情だ。

目にはうっすらと金箔が貼られ六_位の穴が有る。コレは水晶の玉でも嵌め込まれていた
跡だろうか?


顎の舌が有る部分に、舌が無く記名が彫り込まれているのが貴重である。
享保十六年(西暦1731年)今から285年前、米府(米沢)貝沼宣智の作とある。
その他、棟札風の書き方を残していた。



昨年此の獅子頭の写真を見たとき、以前制作した福島三春町の田村大元神社の獅子頭と
似ていると感じた・・いつもの獅子彫りの勘である。


また、記名を彫り込んでいる獅子頭は珍しく、私の知っている獅子頭では唯一白鷹町の浅立
諏訪神社の獅子頭である。すぐ諏訪神社の記名を調べてみた。
すると、驚いた事が見えてきた。
記名の文字が似ているのだ!

浅立諏訪の獅子頭は作者不明で宝暦十二年(西暦1763年)のお祭りに獅子渡り
とあるのでそれ以前の制作であろう・・としか分かっていない。




白鷹浅立諏訪神社の獅子頭  宝暦十二年(1763年)以前の作と言われるのだが・・
はたして現在使われている獅子頭と限定できない。
米沢市川井羽黒神社の獅子頭 享保十六年(1731年)
二頭の制作の時代はほとんど同時期と考えられないだろうか?
更に記名の書体の癖は酷似している。
両神社の作者は米沢の貝沼宣智の可能性が見えてきた。
さらに調査を進めることにしよう・・・。
→画像[ ]
2016.04.04:shishi5

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