▼白鷹十王に関寺あり・・増量完了
白鷹町十王に関寺十一面観音あり・・・。
米沢の笹野観音と山口の羽黒神社を足して二で割った様な名刹だった!
伽藍は置賜で笹野観音に次ぐ規模、杉の大木がその歴史の深さを物語っている。
その奥に先日獅子舞いに遭遇した皇大神社がある。
手前に別の寺があったのだが、直ぐ後ろの斜面が大雨で崩れ被災し無くなっている。
更地になって工事の跡が生々しかった。
最初気づかず、その右側に石畳の参道があった。雨が落ちて来たのでカメラをかばいながら
駆け上がると、この風景が見えてくるのである。
頭の中では宮崎 駿の「風の谷のナウシカ」で登場のオウムが現れるときのシタール風の効果
音が響く・・・。
石階段の終わりから観音堂迄100mもあろうか、その間に樹齢500年はあろうかの杉の巨木が
そそり立っていた。
根元は空洞があった。そこには石仏が祀られ信仰の歴史が伝わって来る。
屋根も巨大で軒が深く、今は銅板葺きだが茅葺きだった頃の勇姿を想像すると補修の葺き替え
の費用が気が遠くなるような茅屋根だっただろう・・・現実的だが。
ぱっと見、拝殿入り口の獅子彫刻が同所龍沢寺の彫刻様式に似ている。
勘が当たれば、長谷部吉之助か新海惣松になる。
こちら龍沢寺の獅子彫刻と比較してみよう。
独特な長いタテガミがなびく透かし彫りの手法が共通している。見返している構図
も同じであるが、気になる違和感もあるので分析を進めよう。
拝殿の中も広く、奉納の絵馬が見られる。
落書きでなく落書というそうだ・・マゲを結った似顔絵風の落書は珍しい。
その上部に見える奉納札の下に重ねられて、チョッと文字が見える板があるのが
気になる・・・釘で打ち付けられているが、何時かそれを見てみたいものだ。
そういう発想は変だろうか?
大きな絵馬の鮮やかな朱色が目を引く。明治期隆盛を極めた当地の参拝を描いている。
関寺川の橋からお堂迄参拝の行列ができている。まだ西洋の遠近法が入っていない
描き方は、かえって新鮮に見える。
お堂の回廊巡りで、検索するとポツンと小さな絵馬が額縁に収まっている。
なんと獅子舞の太鼓を興ずる中華風の幼児が描かれているのだ。
先日、上小松のその道に詳しい敏和オジサンから獅子舞絵馬を見せてもらったばかりなので
自分としては大発見の狂喜乱舞なのだが・・・この心情理解出来る方は少ないだろう。
外気に晒され、だいぶ褪色劣化が著しいが獅子幕の青が少し残っている。
幼児の健やかな成長を祈願したものか、幼児の御霊を慰める絵馬なのかは不明である。
奉納者が「大貫右エ門」絵師は「文秀」と見える。
誰が何を、何時、何の為に行なった奉納かを知れば興味深い記録を知る事になるだろう。
肝心の連休に出会った皇大神社をご紹介を忘れていた。
神社前の境内中央に杉の巨木がそそり立ち、時間という概念を無視した生き様を見せていた。
かつて聖地だったろう面影は悲しいかな今は無い。
→画像[大 中 小]
2016.05.10:shishi5
→トップへ
(C)獅子宿んだよね談話室
powered by samidare
system by community media (Free CMS)