▼白鷹町十王称名寺に・・1270年前の?
廃村になった白鷹町北部の平田部落の熊野神社にあった獅子頭を拝見しに十の王称名寺に向か
った。
昨日アップした円光寺関寺の西側に近隣した位置だ。
称名寺の創建は永和元年(西暦746年)・・・2016年引く746年は?・・・何と1270年前で
ある。
奈良時代の高僧である行基菩薩によって開かれた。伝承によると行基菩薩が背負って来た十体
の王像が、この地の「十王」の由来となったと伝えられている。



これが、その背負って来た「笈」と十王像である。
秘仏で見る事が出来なかったが、現ご住職(73世)になり公開になった。
また江戸時代の切支丹の弾圧の記録や、奉納された幽霊の掛け軸が残っている。
今日の目的は廃村した白鷹町平田の熊野神社の獅子頭の取材である。

こちらの掛け軸は雪村と円山応挙の幽霊を描いたもの。
昔は、この幽霊を家のお守りにして災難除けにしたという・・幽霊まで利用してしまうという
したたかさだ。夜中、この前は通れないだろう。

獅子頭に行き着く途中に、素晴らしい彫刻や書画に目を奪われてしまうの。







怒濤の裏側



本殿の欄間にある龍と獅子の彫り物なのだが、圧倒的な迫力を発散していた。
そのパワーにひれ伏すしか無いのである。

龍の彫刻の裏に回って記名が無いか調べるが無い。
裏も隙がない程の見事な荒波が彫り込まれている。

一旦その場を離れ目的の獅子頭の見分だ。
大きな宝珠が脳天にあり赤い獅子頭である。幕があり、塗りも若くてカシューで塗られているよう
だ。



赤外線カメラで調べも、記名の痕跡も無く獅子は最後まで語ってくれなかった。
平田の熊野神社からは獅子頭の他、太鼓、絵馬三点、棟札数点等などが称名寺に平成5年
再奉納された。

平田部落から荒砥に移転された方の連絡先をお聞きしたので、詳しく後日取材したいと思う。

ご住職が、私が赤外線カメラを持参していると聞き行基菩薩さんが担いで来た笈の扉に書かれ
ている解読不明な墨書の撮影を依頼された。
しかし、金箔に書かれた墨文字は劣化し赤外線カメラの赤外線ビームを跳ね返して
しまった。これこそは、しっかりした公的機関で調査すべきである。

恐れ多い依頼だった・・・もしかしてハッキリ写し出来たら1270年前の記録が判明する大発
見!!だったが、楽しみは、まだ残しておこうという行基菩薩様のお示しであろう。

獅子頭の作者に付いて思い出した。
以前、黒滝神社の獅子頭を修理した事があり雰囲気が似ている。
平田地区から称名寺に来る途中に位置している神社だ。
比較してみると確かに似ている。
資料には昭和13年長井の竹田吉四郎の作とあるので、もと平田熊野神社の獅子頭は
同時期、竹田氏の作の可能性がある。




→画像[ ]
2016.05.12:shishi5

トップへ
(C)獅子宿んだよね談話室
powered by samidare
system by community media (Free CMS)