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栄さんの20aを引き受けることになった。
春先に書いた「それぞれの春」でもふれたように、81歳の現役農民である栄さんが倒れた。そして1ヶ月。栄さんの20aは我が家で受け持つことになった。息子の春平が引き受けてくれる人を捜してはみたが、誰も「うん」とは言わなかったという。それも無理もない話だ。この20aは山あいにあり、近年に開田された田んぼだ。同じ手間をかけても里と比べればずっと収穫量は少なく、それに米価はとんでもなく安い。農家は借りてまでも作りたいとは思わない。この時期、自分の家の田んぼを維持するだけで精一杯というのが正直な話だ。だからにわかに持ち上がった栄さんの田んぼの引き受け手がいないというのも当然といえば当然だった。
「我が家で引き受けられないかなぁ?」
と春平が言い始めた。
「そんなことはやめた方がいい。私は反対だ。開田は何をするにも苦労が多い。栄さんの親戚の農家や近所の農家も引き受けることができないと言っているんだべ?なにもお前が骨をおることはない。それよりお前の身体を休めたほうがいい。」
真っ先に反対したのは92歳の母だった。ときどき空咳をする孫を気づかってのことだ。
「俺は大丈夫だよ。栄さんは田んぼとともに生きてきた人だべ。せっかく育てた苗を廃棄にでもしたら、入院先で『これで俺の人生は終わった』と思うに違いないよ。そんな栄さんを支援できるかどうか、このことは俺が百姓をする上での根本にかかわることだ。」
そんなことを繰り返し主張していた。
「栄さんがまたやりたいといいだしたら、いつでも返すつもりだ。それまでは俺が管理する。」
どうも、決意は固いらしい。言い出したらなかなか後には引かない息子の性格は家族みんなが知っていること。それならしょうがないだろうと母もしぶしぶ納得した。若いときには得てして「正義」や「理想」に走りやすいものだ。
品種は「はえぬき」。353aの我が家の田んぼに20aの栄さんの田んぼが加わった。
俺?俺は息子のやることには反対しないことにしているからね。あまり自分の意見は言わなかったよ。
<写真は田んぼの畦に咲いている野花。春シオン、忘れな草、オオイ ヌノふぐりなど>
2011.06.05:Copyright (C)
ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
昔のままの懐かしい田んぼですね!
田植えの準備にかかる前に畔の草刈りをして、代掻きの前には畦波を入れないのですか?
私たちの所では、土の畔の田んぼは、草刈りをして、畦波を入れます。
だから、田植えが終わった頃には、畦の草は、シロツメクサやジシバリ、タンポポ、ウマゴヤシなどの背の低い草花です。
忘れな草は無いけど、よく似た青い可愛い花でキュウリグサっていうのが一面に咲きます。
私の所では、ハルジオンは、イデ(水路)の向こう側の畔に並んで咲きます。
とってもステキな草花の畦になるのですが、息子に言わせれば、「コンクリートの畦がええなぁ〜、だって畦波入れんでええし、草刈りせんでええからな〜」ってことです。
畦をコンクリートにするには、田んぼの広さやコンクリートの幅などにもよりますが、六〜七十万円、いやいや、今はもっともっと高いかもですよね。
田んぼが有るだけでも大変(重労働)で、赤字の田んぼなんだから、田んぼにそんなにお金をかけられないですよ。
(田んぼさん、ごめんなさい! これは、我が家の事です)
でも、栄さんは作ってくれる人が居て安心やと思いますよ。
家族の方も、ほっと胸を撫で下ろしていることでしょう。
我が家の、コシヒカリを植えていた写真の田んぼ3反は、夫が亡くなる3〜4年前に、困った田んぼを買っていたんです。
売りに出すと、誰(知らない遠くの人)が買って、来るかわからない。(田んぼ以外に利用されるかも?)
それで、そのとき町の農業委員長をしていた私の父から話があり夫が買いました。
夫が亡くなった時、その支払いは一括で800万円近く来ました。
トラクター(350万位だったかな?)も、買ったばかり、夫は使わずに亡くなりました。
すべて、農業者のなんか補助を受けて、徐々に支払する予定だったようなのですが、夫が亡くなったら認定農業者でなくなったために、全て一括で支払い請求が来ました。
その時は、田んぼは、私たち家族を苦しめるためにあるのかなって思いました。 農協だって、何にも助けてはくれないしね。
「トラクターは、前のがありますから、返品します。持って帰ってください」って、私もちょっと駄々をこねてみましたけどね。(ゴメン!)
通夜の席で息子は、私にそっと、「田んぼは父さんが大切にしていたものだから・・・」って言うしね。
私も、本当はそう思っていましたけど、田んぼで生活できる見通しは無かったから・・・、それに、実は、息子も私も、どれが家の田んぼで、どこに有るかも知らなかったんです。
(夫は、人の田んぼを借りて作っていたから、たまに手伝いをしても、よくわからなかったんです)
夫が亡くなった年は、忌引きの間に、うちの田んぼはどことどこですかって、役場に聞きに行って地図を書いてもらって、息子が初めての田植え機を使って植えました。
まず、借りていた田んぼを返す手続き、農業委員会へ行って書類を戴いてきて・・・、いっぱい書いて、相手の方に事情をお話して署名捺印をお願いしました。
(これも、結構時間と手間がかかりました)
近所ののおじさんたちが、自分の所のを放っておいて、植え方と機械の使い方と、どの苗をどこの田んぼにって割り振ってくれて、植えたんです。・・・・これは自分でも凄いな(ようやったな〜)って思います。
すべて、近所や親戚のみなさんに助けて戴いてなんですけどね。感謝・感謝やな!
この上に、乳牛のお世話と片付けが同時にありました。
(乳牛は、農協と、共済組合と、ヘルパーの方と、夫の同業者と、親戚の皆さんに助けていただきました)
ほんまに悲しんでいる暇は無いのわかってもらえるかな・・・!
もう、書いていたら限が無いですよ。
田んぼは好きやけど・・・、この風景も好きやけど・・・。
田植えの後2〜3週間で根が張り始めて、苗の緑が濃くなって、元気にぐんぐん成長し始めると、田を渡って来る風は、本当に緑の風になるんですよ。 苗の香りと共に・・・。 その頃になると・・・。
夕方、日が沈むと、そこに蛍が飛び交うんです。
昔は、家の庭にも遊びに来ていたんですけど・・・・?
※ こんなきれいな懐かしい田んぼを見ると、いろいろ思い出して長くなってしまいました。
ごめんなさい。
〔写真〕キュウリグサです。(5月初め撮影)
花の大きさは2mm位の可愛い花です。
草丈が低く、他の草花の下の方でひっそりと寄り合って咲いています。
2011.06.05:山さくら:
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畦なみ
山形では田植え前の畦の草は、そうは伸びていないのですよ。直前まで雪に覆われていたということも、寒いということもあると思いまね。こちらでは、畦波は田んぼを仕切るとき以外にはあまり使いません。畦シートを使います。あの畑の黒マルチにつかう薄いビニール(60cm)のようなものを畦の水漏れ防止に貼っていきます。その道具もあります。私は動力の「アゼシーター」を使っています。ネットで検索してみてください。
ところ変われば農法もかわりますね。
2011.06.06:菅野芳秀 [
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ありがとうございました!
一番納得したのは、山形(北国)では、田植え前に畦の草が伸びていないっていうこと・・・・滅茶苦茶ガッテン!しました。
・・・『ガッテン! ガッテン! ガッテン!』で〜す。
アゼシーターも、ネットで見ました。
便利なもんがあるんですね。
このあたりでは、ビニールを敷いている田んぼは見かけません。
でも、機械があるんだから、全国的にそうしているんでしょうね。
いろいろ見ていたら、アゼナミも田植えしてから入れるって方法もあるみたいですね。
その方が簡単に入れられて、あと田植え機で傷付けることもないんですって・・・。
ありがとうございました。
それでなんですけど、4隅を手で植えるって、書いておられましたけど・・・?
なんで4隅なのですか?
我が家は、
田んぼの周りを、田植え機の幅2回分位残して中を植えて、最後に周りを植えて、もう一度最後の筋だけバックして、端っこから植えて田植え機が出て来るから、一番最後の出てきたところだけ手植えしていますよ。(我が家では、一隅だけです)
その一隅も、息子は「あんまり丁寧に植えんでもええよ!」「手で植えた所は、手で刈らなイカンきんな〜」「植えた人が手で刈らなイカンで!」って言います。
私が植える時は、廻り方をいっつも息子に確認してから田んぼに機械を入れます。
だって田植えは1年に1度の事なので覚えないし、私は幾何学にも一筆書きにも弱いんです。
※ これは、手抜きの無精者ですか?
農業のプロには、考えられない怠け・手抜きの作業なのでしょうか?
2011.06.07:山さくら [
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讃岐の田植えも終わりそうです!
讃岐の田んぼの田植えもほとんどが終わりました。
まだ、ボツボツ植えている所もありますが、大部分は6月中で終わります。
一番みんなが忙しそうに動くのは、毎年父の日頃です。
写真は・・・田植えの準備のアゼナミを入れた田んぼです。
畔の草を刈ってから、アゼナミを入れます。 この田んぼも、田植えは終わり、今弱々しそうな苗が一生懸命に頑張っています。
2011.07.05:山さくら [
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「我が家で引き受けられないかなぁ?」
と春平が言い始めた。
「そんなことはやめた方がいい。私は反対だ。開田は何をするにも苦労が多い。栄さんの親戚の農家や近所の農家も引き受けることができないと言っているんだべ?なにもお前が骨をおることはない。それよりお前の身体を休めたほうがいい。」
真っ先に反対したのは92歳の母だった。ときどき空咳をする孫を気づかってのことだ。
「俺は大丈夫だよ。栄さんは田んぼとともに生きてきた人だべ。せっかく育てた苗を廃棄にでもしたら、入院先で『これで俺の人生は終わった』と思うに違いないよ。そんな栄さんを支援できるかどうか、このことは俺が百姓をする上での根本にかかわることだ。」
そんなことを繰り返し主張していた。
「栄さんがまたやりたいといいだしたら、いつでも返すつもりだ。それまでは俺が管理する。」
どうも、決意は固いらしい。言い出したらなかなか後には引かない息子の性格は家族みんなが知っていること。それならしょうがないだろうと母もしぶしぶ納得した。若いときには得てして「正義」や「理想」に走りやすいものだ。
品種は「はえぬき」。353aの我が家の田んぼに20aの栄さんの田んぼが加わった。
俺?俺は息子のやることには反対しないことにしているからね。あまり自分の意見は言わなかったよ。
<写真は田んぼの畦に咲いている野花。春シオン、忘れな草、オオイ ヌノふぐりなど>