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美しい十代
2013.01.09:Copyright (C) ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
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俺が高校生の頃の歌。
聞き直してみると、懐かしくはあるが、違和感もある。
ちなみに、三田明の「美しい十代」という歌。
若いころ,よく歌ったっけ。
その三番目の歌詞はこうだ。
遅くなるから さよならしよう
話しあったら つきない二人
明日またねと 手を振りあえば
丘の木立に 夕陽が紅い
美しい十代 あぁ十代
抱いて生きよう 幸福の花
「抱いて生きよう しあわせの花」かぁ。
いいなぁ。あの頃。
いまさらだけど
「遅くなるからさよなら」する時間が
「丘の木立に 夕陽が紅い」時間帯だ。
夕日が沈む前?
なんだ!まだ明るいじゃないか!
美しい十代・・・。
何を考えてこのような詞を書いたのだろうね。
そんな時代だったのかといえばちょっと違う。
俺は山形の田舎の高校生だったけれど
一級下の女の子と
お互いが暗くなるまで部活をやってから
待ち合わせて一緒に帰っていた。
わずか1kmのデートだったけど、当然のことながら暗かった。
別れ際に握手するだけの関係だったけれどね。
それを美しいというかどうかは主観の問題。
思うに
「暗くなるからさよならしよう」は、当時の若い作詞家が書いた詞ではないだろうね。
年寄りが想像で書いた詞だと思う。
舟木一夫の歌の詞もそうだ
学園広場の一番目
「空にむかって あげた手に
若さがいっぱい とんでいた」
修学旅行では
汽車はゆく 汽車はゆく
はるばると はるばると
若いぼくらの 修学旅行
汽車はゆく 汽車はゆく
ひとすじに ひとすじに
若いぼくらの 修学旅行
高校生は当然のことながら自分たちのことを「若い」とは歌わない。
「若い」は相対的な概念だ。
これらの歌詞も年寄りの作詞家が書いたものにちがいない。
いまさら、どうでもいいことだけどね。
かつての俺たちが歌っていたものを
これは当時の年寄りが作ったものだと言って、ああだこうだと
講釈を並べるのは、俺自身が歳をとったからだろうな。
あぁ、なんでこんなこと・・・
いい大人の書くことではないよな。
馬鹿だねぇ、おれ。