私の「異変」その2:ヤマガタンAnnex|山形の農業〜農林水産
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『私の異変(2)』
リハビリセンターでの訓練は、身体の運動機能に関する「理学療法」と、もう少し細かく、生活するうえでの機能の回復を図る「作業療法」、読み書き、話すことに関わる「言語聴覚療法」と三つの分野に分かれている。それぞれが50分から60分、合わせて3時間弱を1セットとして、毎日繰り返されていた。あとは自由時間。でも私はその自由時間こそ本当のリハビリの時間だと考え、自主トレに励んでいた。
「実際はな、1日1セット3時間では足りないよ。だけど点数の枠があって国民健康保険の中に経費を収めようとしたら、そのぐらいの時間しか取れない。だから、それとは関係なくリハビリに励むことが肝心だ。」
このように忠告してくれたのは医療関係に勤めていた友人だ。そんな助言や、「3カ月の壁」と言う話もあって、少しの時間も無駄にすることなく、早朝から消灯時間になるまで、いや、消灯になってからも小さな照明をつけて、計算や漢字ドリルなどに取り組んでいた。
「菅野さん、あまり無理をしないでよ。身体を壊したら何にもならないからね。」「いつか菅野さんの努力を本にしてみたら。きっと多くの人が励まされると思うよ。」
そう声をかけてくれたのは、時々顔を合わせる看護婦さんだ。「本」と言うのは病院内の読まれていた会報のこと。自分では無理をしているつもりはなかったのだが、外から見たらそのように見えたのだろう。
計算ができなくなったことは前号で書いたが、漢字も読めるのだが書けなかった。「山」とか「川」などの簡単な文字は何とかなるけれど、少しでも込み入った字は書けなかった。イメージは浮かぶけれど・・・。そこで「小学漢字辞典」を妻に頼み、収められていた漢字を片端から書いていった。
文章を読む力も大幅に落ちていた。それだけでなく、読んでも意味が記憶としてとどまらない。読み進みながら、既に読んだ箇所を忘れていく。だから文全体の大意をつかむことはなかなかできなかった。取り組んだのは、新聞の「人生相談」やコラム欄のようにそう長くなく、難しくもない文章を探し出し、ゆっくりと声に出して読むこと。あっちこっちにつっかえ、何度も読み直しながら字を追っていく。これと合わせて「藤沢周平」の世話にもなった。小説なので「大意」をつかまないと前に進めない。同じところを繰り返し読むことで意味をおさえる訓練にもなった。
このように、私の障害は外見上、何の問題もないかのようだったが、内面はけっこうやられていて、その一つ一つの克服に向けた訓練が毎日の「自主トレ」の課題になっていた。
努力の方向ははっきりしている。ただ成果が出るかどうかは定かではなかった。でも、向かって行くしかない。
さらに加えてもう一つの出来事があった。医師から「あなたは視界の半分しか見えていません。出血によって神経が損傷しています。『半盲』状態です。免許証は難しいかもしれません。」と告げられたのは入院して1週間が過ぎた頃だろうか。運転免許証は無理・・。病気をきっかけにして、暮らし方、生き方を変えなければならないことは分かっていた。変えようとも思っていた。だけど車がないとなると・・考え始めたら眠れない日々が続いた。友人は「弱者の心が分かる人間になれるよ。」などと評論家のようなことを言っていたが、本人にしてみたらそれどころではない。やがて幸いにも出血部のハレが引き、神経への圧迫がとれたからか、医者が無理だと言った視界が少しずつ戻ってきて、運転免許は大丈夫になったが、それまでのおよそ3カ月余り、車がない中でどう暮らしていくのか、失意の中で、答えのない煩悶を繰り返していた。
失った力の8割は戻って来てくれた。算数の加減乗除は何とかこなせるようになった。小学生の漢字の半分は書けるに違いない。小説も意味をおさえながら読めるようになったし、文章も何とか書けるようになってきている。
リハビリを含め45日の入院生活。限りある人生をどのように生きるべきかを自分に問う得難い機会を得たと思っている。だからこそ何を捨て、何を守るか。どう生きることが大切か。なかなか答えはないけれど、その問いは今も続いている。