☆命いっぱいの一期一会が。:山形の創作・芸術

山形の創作・芸術
☆命いっぱいの一期一会が。


一昨日(3/28)、県内にお住まいの知人(いつもお世話になってます)の、
「名取り披露」を兼ねた日舞の会(仙台)に駆け付けた。

アウトドア志向の<Shidareo>なのだが、
ネイチャー(いわゆる”自然”)に魅せられる一番の理由は、
おそらく、まるでカミの下(モト)で繰り広げられる
<命の戯れ>というものであろうか???。
どんな小さな生き物も植物も「全てがホンモノ」であり、
そしてそれらが、捕食・被捕食の関係をも含め、
四季の移ろいとかその日の天候とかによって互いに迷いつつも、
でも、その瞬間×瞬間、命いっぱいの一期一会を行っているが、
それが、私にとって「美しい」と感じられるからだと思っている。

さて、駈け付けついでに「勝手に専属カメラマン」を請け負ってしまった。

いつもはアウトドア志向の<Shidareo>であるが、今日は少し勝手が違う。

暗い会場と外光よりもずっと暗いステージ。
おまけに、狭い椅子に縛られて身動きも取れないし、
前列の女性の、見事にデコレーションされた
大きなヘアースタイルに気もそぞろとなるし・・・と大変;;;。

出し物は、新歌舞伎18番のひとつにもなっている<鏡獅子>という曲。

よっしゃ!

相手が<獅子>なら、こっちは<ハンター>だ!と決め込み、
スコープならぬ「ファインダー」を何故か両目で覗きつつ、
引き金ならぬ「シャッターボタン」に人差し指を添えて遊び部分を引き絞り、
Shootするタイミングをひたすら待つ事に。
(まるで、精密射撃か、大物猟のノリである;)

日舞の世界は、

単純に捉えるとアウトドアの世界とは全く逆とも言え、
究極のインドア世界で、極めて人為的・作為的世界。

伝統的な慣わしや序列と言ったけっこう厳しい規範が
互いの黙約の中で守られている。
太夫の唄や伴う三味はじめ、お囃子までもがアウンの呼吸で進む。

そんな中で、いっときの<舞>が始まった。
そして、そこで<Shidareo>が見たものは・・・、

宮沢賢治の「私という<現象>」という言葉を借りれば、
それなりに極めた人(という現象)同士がアウン呼吸で創り出す世界の中で、
人(・・・というまた別の現象)がひたすら<舞う>ことで垣間見せる、
いわば、<カミの下での命の戯れ>だった気がする。

自然「ネイチャー」の語源には、仏語の「ナチュール」があり、
その「ナチュール」には、自然はもちろんの事、
ヒトそのものや、ヒトの脳みそが創り出した世界でもある
文化・政治・経済・都市・建築など、万象全てが含まれるらしい。

そこには、互いに微妙に迷いつつも、その瞬間×瞬間、
命いっぱいの一期一会が、確かに在った気がした。

最後に・・・、

<Shidareo>のBlogへの掲載にあたり、肖像権のある画像使用を快諾いただきまして、
本当にありがとうございました。この場をお借りして、改めましてお礼申し上げます。
この記事へのコメントはこちら
題名


本文


作成者


URL


画像

編集用パスワード (半角英数字4文字)


 ※投稿後すぐに反映されます。
ゲストさんようこそ
ID
PW

 合計 7人
記事数
 公開 255件
 限定公開 0件
 合計 255件
アクセス数
 今日 17件
 昨日 68件
 合計 328,824件
powered by samidare
system:samidare community