一応・・・シゴトはじめ。:山形の植物・園芸
山形の植物・園芸 |
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さてさて、本日(1/4)は、山形県日の出の時刻が6時56分という事で、
一年のうちで一番遅い。そんな日ではあるが、蔵王連峰上空がゆっくりと明けて来た。
ところで、やはり山形市内に住んでいると、
身近な蔵王連峰を眺めたり、遊びに行く事も多くなる。
↓↓↓は、元旦早々に犬っ子達と行った山から眺めた蔵王連峰である。
また↓↓↓は、1/2〜3と連日歩き回った蔵王連峰から続く低山の一角である。
「どこが面白いの?」 っと言われるかも知れないが、
ま、誰かから特に注目されたり、賞賛をあびたりする事は一切ないけど、
空気は良いし、静かだし、眺望も良いし、
歩けば自然に腹も減るので食べ物が美味しく食べられるし、
かと言って、欲張って食べ過ぎれば歩けなくなるので自ずと適量が守れるし、良い。
ここ10数年来お付き合いさせていただいている、とても思慮深く、
尊敬している芸術史&評論系の教授からお手紙を頂戴した。
そこには、「自然は、知を超えはじめた。」とも添えられていた。
おそらく、これまでの人の歴史というか営みの方向は
主に自然の持つ破壊力や死へと押しやる圧力に
抗う(アラガウ)事に向けられ、「都市化という鎧」を発展させて来た。
そして、そのために体系化されてきたものこそが、
「これまでの知」というものの、主な概念だったのではなかろうか?
そんな意味に於いての「これまでの知」の体系を、
<自然が超えはじめた>というのは、おそらく、「知」というものが、
人と自然の関係に於いて「新たな知の方向」を模索しはじめ、
確実に進み始めている、という事なのだろうと。。。
もしかすると、
若者はじめ一般生活者のコトバにならない「直感」とかの方が早いかも知れないが、
<慎重に「アカデミズム」に照らし合わせても・・・>という意味が込められている気がするし、
この事は、これまでは「アウトサイダーの文化」だったものが「ドメイン(主領域)的文化」へと
オーソライジング(社会化)されていく時代に入って来るよ、という、
<メッセージ>なのかも知れないなと、けっこう重く受け止めた。