昭和の画家:山形の歴史・伝統

山形の歴史・伝統
昭和の画家


 小さい頃に事故で隻眼になった。

 この少年は、異常に絵が好きで地元の

 狩野派の絵師に師事した。

 20代で戦争にとられたときに、岩絵の具を

 瓶につめ実家の縁の下に隠した。

 中国大陸を従軍し、終戦で必死に足がぼろぼろになって

 何百キロも歩き、生還した。

 実家に帰り、岩絵の具を掘り出しまた絵筆をとった。

 朝、昼、晩、隻眼のハンデイを克服するために

 色々に角度から数十枚のデッサンをかき、

 絵を描いた。

 後年は、ヒマラヤを命がけで描き みるものに

 力を感じさせる。

  文化勲章受章の栄誉を受けた。

 この写真は、30代の若い頃に宿の主人が

 色紙を所望したところを写した写真です。



          吾妻荘公式ホームページ




2008.08.19:Copyright (C) 小野川温泉 吾妻荘
この記事へのコメントはこちら
題名


本文


作成者


URL


画像

編集用パスワード (半角英数字4文字)


 ※管理者の承認後に反映されます。
ゲストさんようこそ
ID
PW

 合計 18人
記事数
 公開 1,457件
 限定公開 0件
 合計 1,457件
アクセス数
 今日 341件
 昨日 165件
 合計 1,831,923件
powered by samidare
system:samidare community