勝天8 『関興寺の味噌なめたか?』:山形の歴史・伝統

山形の歴史・伝統
勝天8 『関興寺の味噌なめたか?』


「雲洞庵の土踏んだか」とともに語られるのが、「関興寺の味噌なめたか」。

関興寺への道の途中には、お寺の名前より大きな文字で「味噌なめたか」という看板が立っています。

どうして、味噌なのでしょう?


天正6年(1578年)、上杉謙信が亡くなると、後継者争いが戦へと発展します。

上田長尾家から養子に入った喜平次景勝。

相模の北条から養子に入った三郎景虎。

二人の養子による跡目をめぐる戦は、「御館の乱」と呼ばれています。


景虎方は、景勝の故郷である上田庄へ攻め込みます。

戦火は、お寺にも降りかかり、いくつかのお堂が焼けてしまいました。

時の住職・雨天是鑑和尚は、上杉氏より寄進された大般若経六百巻をなんとか守りたいと思いました。

当時は、防火金庫などありません。

どうやって火災から守るか・・・。

考えた末、雨天是鑑和尚は、味噌桶の中に経本を埋めて、戦火から守りました。

以来、この味噌をいただくものは大般若経のご利益にあずかり福徳が授かることができると言いはやされるようになり、「関興寺の味噌なめたか」との言葉が生まれたと伝えられています。

火災を味噌で守るという落語の『味噌蔵』のようなお話ですね。


ちなみに、関興寺の宗旨は臨済宗。

雲洞庵は、曹洞宗ですが、どちらも武士が好んだ禅宗です。

「雲洞庵の土踏んだか」と「関興寺の味噌なめたか」は、僧たちの間で「2つの
名刹で禅宗を学び、修行しましたか?」という意味で使われた言葉だそうです。

写真は、味噌作りに使われた道具だそうです。

関興寺に行きますと、お茶とともに味噌をなめさせていただけます。

天地人の舞台は、雲洞庵ですが、せっかく南魚沼まで足を運んだなら関興寺もセットでご覧になってはいかがでしょう。
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