最上義光とやまがた:山形の歴史・伝統
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最上義光とやまがた
最上家の第1代斯波兼頼(しばかねより)は、今から約650年前の延文元年(1356)にこの地にきて城をつくり、「出羽国最上郡山形郷(でわのくにもがみごうりやまがたごう)」という地名から「最上(もがみ)」という名字を名乗るようになったといわれています。
その兼頼から数えて11代目の当主(城主)が義光です。義光は慶長5年(1600)の慶長出羽合戦(けいちょうでわかっせん)の活躍で57万石という広大な領地をもつようになりました。
現在の山形県のうち置賜地方を除く全部と秋田県の南の一部です。また、義光は57万石を治める城として、これまで住んでいた山形城を三重の濠(ほり)で囲まれた大変大きな城につくり直し、家臣や商人・職人たちが生活する城下町を整備しました。
この時に山形市の原型がつくられたといわれています。義光は現在の山形市の繁栄の礎を築いたといえます。
2005.07.14:Copyright (C)
最上義光歴史館
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現在の山形県のうち置賜地方を除く全部と秋田県の南の一部です。また、義光は57万石を治める城として、これまで住んでいた山形城を三重の濠(ほり)で囲まれた大変大きな城につくり直し、家臣や商人・職人たちが生活する城下町を整備しました。
この時に山形市の原型がつくられたといわれています。義光は現在の山形市の繁栄の礎を築いたといえます。